文化力 山形EU委員会来訪
山形から27名の山形EU委員会の方々がブリュッセルにいらっしゃった。日本で大分県に続いて2番目にできたこの会は、今年創立25周年記念ということだ。彼らはほぼ5年ごとにヨーロッパを訪れている。その折ごとのEUを肌で感じていらっしゃる。
私は今までその時期にいたためしがなく、今回初めてお付き合いさせていただいた。
スペイン・マドリッド、イタリア・ミラノを経ての最終地ブリュッセルでさぞかしお疲れかと思いきや、皆さまの元気さ、好奇心、開かれた目、肥えた舌には圧倒された。
欧州委員会訪問、政府代表部大使表敬訪問のあと、いとこでもある長谷川吉茂さんが我が家にやってきた。
子供たちと4人の日本語の会話。特に日本に住んでいる男性と話す機会はあまりない。それも「親戚」、なんだか前日からわくわくしていた。味方がやってきたみたいだ!
靴の脱ぎ方から鍵の置き所から細かいところまでひょいっと指摘される。自慢するわけではないが永遠に「アマチュア主婦」でここまで来てしまった私は恥ずかしいけど仕方ない!
1時間余りの時間、彼は子供たちの将来について話をした。
『その時々の初心を忘れず』
とは世阿弥の言葉だ。
世阿弥と言う言葉も子供たちは初めて聞く。
特に誤解が多いこの言葉は「決して最初に思った事を初志貫徹しろ、と言うことではなく、その時々に納得しつつ仕事を変えていく事だってあり得る」と言う彼の話に私は深く納得した。「その時々」の大事さ、「その時々」の真面目さ。それが『初心』だ。
世阿弥について説明し、日本の事を話す時は私も必然と熱がこもる。わからない日本語をそのままにせず意味を少しでも彼らに理解してもらいたいから。
「だから左門がサッカーに夢中になり、水球に夢中になり、そして今クラヴマガと言うものに無中になるのは悪いことじゃないんだよ」と言うと息子は嬉しそうに照れ笑いしていた。「やりたいことは勉強していくうちに見つければいい。でもどこかで決めないと。」と茂ちゃん(生まれた時から知っているのでそう呼ばしていただく)
そこで世阿弥の話になったというわけだ。
学生時代42万円で2カ月間ヨーロッパをヒッチハイクして歩いたと言う「おじさん」の話に子供たちは興味津々。彼らがヨーロッパに住んでいてもまだまだ行っていないところがある。いや連れて行っていない・・のだがこれからは彼ら自身で旅をする番だ。
現に友達の一人は学業を中断「どうしてもインドに行きたい」と調べ、親を説得して旅立ってしまった!昨今インドでのいろいろな事件が多い。そこに18歳の金髪の女の子一人なんて・・と今さらながらに親の立場から見たら考えられない事、怖い事だらけなのだがなぜか「やめなさい」とは言えなかった・・・無事やっていることを祈るのみだ。(情報によると3週間経った現在ドイツ夫婦と一緒に旅行していると言う。よく娘のところに思いのたけをつづったメールが来る。)
さて夜の会食はレストラン・イナダ。日ごろお世話になっている稲田三郎さんのフランス料理に舌づつみを打つ。フランス料理なのだが、「なす」「魚のマリネ」など「まるで河北町のなすだ!」と声が上がるほどに日本の良い味が出ている。初物の白アスパラガスに添えられた温泉卵のような半熟気味がなんとも言えない。そこにほのかに香るのが「トリュフソース」隠し味わかってもらえたかな?パンに浸したソースを平らげる。甘露!
最後は鴨。火の通し方が絶妙だ。決して焼きすぎない。素材の味が生きている。
EUの丸山大使、主人のバートも加わってまた「ヨーロッパ論議」に火が付く。
いや、「資本主義と民主主義を一緒にやろうと言うのは到底無理なところ。政治と経済の統合ということにこれほどまで前向きに取り組む姿勢は尊敬する」と茂ちゃん。「前向きのギヤーしかない、というEUの考え方は要するに「これ以上戦争をおこさないようにしよう」、という姿勢なんです。」と丸山大使。バートは「要するにヨーロッパ人というパスポートが一人一人に配られ、その上で私はドイツ出身、私はフランス出身、となってくれば良いと思う」と切り札を出す。たしかに(地方)としての国のあり方が統合の中で認識されれば良いのだ。
その上歴史上「東欧」という意識、教育はまだまだ根強い。実際私がヴァイオリン教育にたずさわってみても旧ソビエト圏から来た生徒たちはテクニックも有り良く弾ける。ただその上で(色、文化)を教えて行こうとすると一番手ごわい相手なのだ。なかなか理解しない。変わらない・・・しかし今ヨーロッパの大学全てを統治している「ボローニャ大学法」の「ヨーロピアン・プラットフォーム」と言う言葉の中にはロシア、旧東欧はすべて含まれる。はいってないのはアジアとアメリカだけ!それでコンセルバトリーの授業料が10倍も違うのだから差別と日本人が思うのは当たり前だ。
まだまだ、いや以前にもまして日本は遠い・・
現在ドイツで起こっている現象も東ドイツ出身のやり方が多い・・と言うことをいやと言うほど教えられたのがヴァイオリン押収事件だ。
山形からは元大学長をはじめ、車関係、お醤油、お惣菜やさん、警備保障の方、設計士、老人ホーム、銀行関係、教育者、あらゆる分野の知識人たちがいらっしゃった。それぞれにご自分の力で会社をなしておられる。日ごろ感じておられることを胸にヨーロッパ視察、今回は特に金融危機というテーマで回られてきた。「山形の明日のために」と26歳から81歳までの3世代にわたる旅もなかなかない事だ。27人の背広姿の日本人がブリュッセルの街を闊歩している。みなさん楽しそうだ。丸山大使も「このように実際皆さまにお会いする機会は正直言ってあまりありません」とおっしゃる。私も嬉しかった。
紅花の美しいピンク、その光沢はヨーロッパで見ても目を見張る。金箔の取っ手のついた鉄瓶はうちでも愛用している。取っ手が熱くならない上に金が美しい。フェラーリの車をデザインしたこともある山形の車設計家、日本一おいしい醤油。その他にもいろいろある世界に誇れる文化力の今の担い手たちは何とたくましく生き生きしていることだろう、と私の両親の故郷でもある「ふるさと」からのエネルギーをもらった。
多数の言葉を操る事の多い日常、ともすると究極の美を追求するための姿勢を忘れがちだ。昔からそう思っていた。ポリグロットなどと言うことより一極集中のほうが結果的には強く美しく世界を制覇する・・グローバル化など漠然としたものには興味がない。
私が一度も留学することなくエリザベートで優勝したのも「日本語、日本文化」の中で生まれ育ち、考え、模倣し、そして夢を抱いた世界への問いかけ、があったからだ。
しかし逆にそのように納得していながらの世界での仕事はきつかった。
時が経てば私もなんとか生活できる程度の言葉は把握した。そのうち結婚して子育てといういわば職業とは違う意味でも「責任」を負う立場になっても日本語以外の本は読まず、書かず。だんだん「あいまい」になってくる姿勢は生きていく手段でもあったかもしれない。
ヴァイオリンは仕事、商売だ。そこに迷惑をかけるわけにはいかないとなるとおのずから他の部分に破綻がでる事もあった。しかしこれは私の性格によるところも大きい。
と、今日は主婦落第を少しだけ返上して、指摘された靴箱の整理を続けることにする。
2013年4月13日 ブリュッセルにて