硬と軟
昨日までの雪がやっと溶けた。
道路上をひやひやもので歩き、そろそろと運転していた時期が長かった。
降った雪が凍って危ないのだ。
マイナス2度から4度、日中でも空気は冷たく息をするごとに肺に突き刺さるようだ。
30年も前の話だが、当時ザルツブルグに留学していた妹のところを尋ねた時、ちょうど同じような空気を感じたものだ。おかげで一緒に行った母はその後(無熱性肺炎)にかかってしまうというおまけまでついた。
昨今、温暖化で熱すぎる夏と逆に寒い冬、一方で乾燥して野山が焼け、一方で洪水に悩まされる。どちらも過剰な事が目立つ。
地球はどうなってしまうのだろう?
という科学的、かつ人道にかかわる問題は別として。
硬い冬のあとに来た日差しのなんと柔らかな事か。
まるで今までがんばって縮こまってきた木々が羽を伸ばしているようだ。
日差しがまぶしい・・・春の勢いだ。
「硬」無くして「軟」はなく、また柔らかさ無くして堅さもないだろう・・
と自然は当たり前に教えてくれる。
音楽も同じこと。
今ブラームスのコンチェルトを仕込んでいる。
一つずつ石を積み上げてカテドラルを造るような練習、よく私が使う表現だ。
問題によって決める時間は違うが、だらだらと練習するよりは「後5分でなんとかしよう」とその一音を探る。全知全能の叡智をかけてその「5分」の時を止めて仕込む・・それが15分、いや30分などと言うのはよっぽど問題が大きい時だ。
と言えばかっこがいいが・・
果たしてそのようにして造り上げられた音楽は心地よいのだろうか?
「音楽の構築方法は油絵と同じです」と江藤先生。近くでは細かい緻密な作業が重要でそれが遠くから見た時、なんとなく良いな、と思えるようにとおっしゃる。
緻密な作業は肩も凝る。
「まるでコンピューターのマウスみたいな塊が最初あったんです」と昨日一緒に活元運動した方から言われた。
だんだん溶けてきて・・・
眠たさも尋常ではない。
そんな中、ヴァイオリンの練習もやっとブラームスの2楽章にたどり着いた。
1小節ずつ仕込んでいくのだから時間がかかる。
さらり~と流して弾いていくと「あれ、ヴァイオリンの音ちがうな?」と感じた。
実は8月以来いろいろあって、楽器もここにきてもなんだか今一つ鳴りが悪いと思っていたのだ。特にヴァイオリンの(魂)と言われるD線の3ポジションあたり。一番楽器本来の音色が出るところだ。高音の輝きでもなく、低音の底力でもない。その楽器の持つ(普通の音)
だから良く楽器選びの時は「D線の3ポジションぐらいの音を弾いてみてもし気に入らなかったら止めた方が良い」と言う。なぜかというと(普通の音)は変わりようがないからだ。無理して合わせる必要もない。
人間と同じ!
背中の塊が溶けてきて、咳が出たり目がしばしばする、風邪をひいたかな?
「硬」無くして「軟」なし。恐れず硬くやる事も必要だ。そして必ず春が来て溶けていくようにその後の軟はたまらない!
日日是好日。これでやっと私のデルジェスも本来の姿に戻れるのかもしれない。
2013年1月末ブリュッセルにて