けじめ
お正月を日本で過ごした。3世代そろっての日本滞在は子供たちの友達も交えてにぎやかだった。
師走の行事である大掃除、ガラス磨き、お飾りを飾り付け門松を立てる。
神道と仏教の挨拶の仕方の違い。
見よう見まねで行う子供世代。
型から入る日本独特の文化だ。
12月25日に私たち夫婦でモーツアルトのコンサートをやった。
昨年はいろいろあって・・・無事楽器が返還されたことへの(お礼)も込めて。まだまだ続く困難への激励もいただいた。
音楽と言うのは実に簡単に幸も不幸も乗り越える。国境どこの騒ぎではない。
人種もそして時間をも超越しえる(至福の時)を持ちえたことに感謝する。
モーツアルト自身、はたして200年後に彼の造り上げた世界がこれほど愛されるとは想像しえなかったと思う。
そこがまたいい・・・
年が明けて・・
正月3日にバッハの3番のソロソナタを弾いた。野口整体道場本部で。
活元運動、書き初めと終えた畳に座った聴衆はなんとも好奇心と集中力に満ち溢れ、朝の練習の時感じた寒さも乾燥具合も汗ばむほどのしっとりとした雰囲気に変わっていた。
畳の上でバッハを弾く。
キリストの足取りと言われた、附点のリズムの1楽章、コラールのたった4小節をヴァイオリン1本でこれまで大きく豊にできるのか?とバッハ本人の挑戦でもあっただろうフーガ。そして安心するラルゴの美しいメロデイー、希望に満ちたアレグロ・アッサイのフィナーレ。
いつまでも弾き続けていたいぐらい気持ちよく演奏することができた。
私にとって整体と音楽の融合は必然だ。
必然・・というものは実にさりげなく、現れるものだ。
はてさて・・・
今回の滞在で感じたこと。
以前は25日のクリスマスイルミネーションが26日には全て取り払われ、あっという間に師走、そして新年を迎える日本の風景になった。
今回感じたのはいつまでも続くクリスマスの灯り。いったい原発で思い知っているはずの「節電」はどこにいったのだろうか?
そういえば門松などは電力ひとついらない。
正月1日、子供たちを連れて近くの神社にお参りした。またそのそばの川に散歩した。
セキレイが飛び、鷺が舞い降りる。
まっさらな青空。
美しい・・・
日本の原風景・・・野原と小川とそこに生きる生き物たち・・・
これこそ日本の正月!
インターネットで31日にもう「あけまして・・」と賀状が届いても、だらだらとした時の流れのけじめがなくとも、けじめは各々の心の中にある。
安心して過ごす原点はこんなところにある。
2013年1月7日ブリュッセルにて