悟朗ちゃんへ


今シューマンのヴァイオリンソナタ2番を仕込んでいる。私にとっては新しい挑戦だ。
彼の晩年の作品、追いかけごっこするような推理小説みたいな(アルゲリッヒ談)この作品は1番のヴァイオリンソナタのすぐあとに書かれた。作曲家自身が(こちらの方がよっぽど良い)といい「Zweite Grosse sonata」2番目の大きなソナタ、とも名づけている。

シューマンの他の作品の例にもれず、あまり高音が出てこない。中音域を美しく、しかもクリアに鳴らすのはヴァイオリンと言う楽器を使う場合、至難の業だ。その上多声にわたる旋律の絡み合いはどこをとっても捨てがたい重要性がある。
結果「全て弾くと全てよく聞こえない」ことになる。

しかしながら彼が自慢しているだけあって「構成力」「リリシズム」は類を見ない。
3楽章の美しさ、(深き悲しみの淵より我、汝を呼ぶ)というコラールに基づく変奏曲はシューマンのピアノカルテットの3楽章にも匹敵する・・・

この世紀末・・と言っても幸せ感にあふれているこの世のものとも思われぬ楽章をほめちぎって亡くなった友人がいる。彼の最後の方のブログに書かれている。(この世のものではないような美しさ)と。

小林悟朗さんだ。NHKのディレクターをしておられた。武満さん、小澤さんなどの素晴らしいドキュメンタリーを作られた。音楽に関する知識は飛び抜けていた。あらゆる作曲家の作品番号からメロディーまですぐ口にできる人を私は他に知らない。
そして何より音楽に対する愛情にあふれていた。だから私たちは安心してカメラの前に立つことができた。

もう長い付き合いになるが、とりわけここ数年お会いすることが多かった。富山演奏会の帰り車中でしゃべりまくり、ウィーンの小澤さん指揮のオペラで盛り上がり、人生語り合った。

仙川のスタバでお茶した時、「表現」についてとことん語り合った。

彼と会ったあとは想像力あふれ、やる気満々、ありとあらゆるアイディアが浮かんでくるのだ。

それを心底「音にしたい」と思った。

私のバッハーブラームス企画の立役者だ。
「最初ブラームスの弦楽6重奏から始めてだんだん小さくしていくの。最後はバッハのシャコンヌ」
そんなアイディアは彼以外思いつかなかっただろう。
やってみるには勇気が要った。しかし聴衆は喜び、新しい演奏会のあり方を問う音楽会となった。その時も彼は来てくれた。


最後になってしまった石橋メモリアルホールでのNHKテレビ録音。2012年8月初頭。バッハの2番のパルティータ・シャコンヌ付きとブラームス3番のヴァイオリンソナタ。d-mollの2大名曲をこれも今から思えばなぜあのように(今年の春か夏)にこだわったのか不思議でならない。無理してコンサートホールを押さえ、わざわざそのためにベルギーからピアニストを呼んで来なくとも秋になればいくらでも機会はあったのに。

彼があの時、あの場所で撮りたかったのだ。いや、あの時しかなかった。

リハーサルの最中ず~っと最前列で聞いていてくれた、観ていてくれた彼の姿は忘れられない。

シャコンヌを弾き終ると「ほんと、人生だよね~」

次の日、「翌日から抗ガン剤治療がまたあるのでおいしいもの食べられなくなる。だから一緒にお昼食べよう!」

それがお会いした最後になってしまった・・・

私の楽器押収事件があり、悟朗ちゃんが入院した。

電話で話した時「今、酸素マスクであまりはっきりしゃべれないの」

数日後携帯メールが届いた。私は新しく借りていたストラドで苦労しながらN響の定期に立つところだった。
「メンコン頑張ってください。そしてもし許されるのならばバッハを弾いてみなさんに力を与えてください」

まさかそれが彼の最後のシグナルになるなど思いもよらず「肺炎なら治る、明日お見舞いに行こう」
と思っていた。

そのメンコン演奏会が終わった直後、彼の死を知った。

全く!
ずるいよ、悟朗ちゃん、そんな簡単に逝っちゃうなんて!!

2013年プラハ・チェコフィルとブラームスコンチェルト録音のエンジニアを探してきた。自宅に招いていかに録音技術が発達していろいろできるのか、を解説してくれた。

音と音楽の心に「徹底的な愛情」を持っていた。

あんな人はもういないんだろうな~

彼のご自宅に亡くなった翌日伺った。本当はお見舞いに行くはずだったのだ!
ご家族に囲まれ一回り小さくなった悟朗ちゃんがいた。まるで眠っているよう。
なんというか彼、という感性そのもののような人が「はかなさ」に満ちて、たまたまこの世にちょっと、ひょいっと現れてそしていなくなっちゃった!
そんな感じがした。
だから本当に今でもいなくなった感じがしない。

帰り路、多摩川べりをず~っと歩いた。まぶしいぐらいの大晴天、秋晴れの光の中シューマンのピアノカルテットの3楽章が頭の中に鳴って鳴って仕方がなかった。

そういうわけで今日の「シューマンの夕べ」は最後に彼の遺言の「ピアノカルテットの3楽章」を弾こうと思う。ヴィオラの佐々木さんはその日そのためだけに駆けつけて来てくれる。

悟朗ちゃん、聞いてくださいね、地上のシューマン。それでまたあっちでシューマンさんといろいろ議論してください。
「全くあいつらわかってないなぁ~でもきれいだね」

合掌

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