2012お城、夏休み

今年もシャトー・ド・ラ・フォリーで2度の演奏会とマスタークラスを行った。その時間も楽しく過ぎた。

と言うより私は日常をそのまま持ち込んだ感じだった。そんな気分にしてくれたお城の歓待ぶり、何気ない毎日の生活のありがたさには全く感謝する。

1年経って行ってみたらまるで昨日あったかのような懐かしさに胸がいっぱいになった。

その上今回は長年の友人であるピアニストのジャン・マルク・ルイサダも一緒に連れて行った。
トヨタIQに一杯荷物を詰め込んで何やらナビもあやしげな珍道中。
でも彼といると同年代の音楽家という事もあるのか不思議と心が安らぐ。笑いの連続で何とかたどり着いた。

【お城】
【お城】
【ハスの花】
【ハスの花】

エマニュエル伯爵が自らお城の中を案内してくれる。
昨年ちょっと古かったバスルームもきちんと直されており、あらゆるところに目を凝らし手を入れている姿には頭が下がる。
「城は人と同じ、手をかけなければすぐすたる」というけれど、小さなアパート一つきちんと管理できない私から見たらほとんど卒倒しそうなぐらいな「小さなほころび」が日々あるだろう。何と言っても広い、古い!

【ボナパルト】
【ボナパルト】
天井部屋・・だけで、有にサッカー場になりそうなぐらいだ。

昨年だいぶ把握していたと思ったエリアの倍はある(知らなかった場所)を案内された。
ジャン・マルクはさすがフランス人、ボナパルト・・すなわちナポレオン時代からの人々の名前、地理にもよく着いていける。
私の部屋のトイレにまである肖像画も全てボナパルト。
彼の軍隊、成功、森の中・・・

エマニュエルもすっかり気をよくして説明にも熱が入る。

いきなりジャン・マルク「幽霊は出ますか?」
「出ますよ。でもどこに出るかは言いません」
・・・・

なんと彼に与えられたアルコーブ部屋に入ってお風呂場に行った途端、す~とトイレ掃除機が音もなく倒れた・・・
【図書モンテスキューの初版、ボードレールなどがある棚】
【図書モンテスキューの初版、ボードレールなどがある棚】
【昔の絵ハガキを見る仕掛け[大きくなる]の説明を受けやってみる】
【昔の絵ハガキを見る仕掛け[大きくなる]の説明を受けやってみる】
あくる朝生徒達もやってきた。
午前中の練習はステージの上、といっても強い光と風にあっち行ったりこっち行ったり!
野外演奏とはこういうことだ。

湿気、洗濯バサミ必須の突風への対処。問題はいくらでもあるのだが、陽が傾けば場所をかえる。


別に調弦も狂うわけでもない。ちゃんとコンサート開始の5時には陽も落ち着いて空気も安定するのだから。
何と言っても音響がすばらしい!その昔中庭で弾いたであろう室内オーケストラの様子、そこから発生したであろう宮廷音楽の様子が目に浮かぶ。サロンだけではない。

この音響は他に比を見ない。だから少々のことは我慢して何とかここで弾きたいのだが・・・
雨が降れば我々は分厚い壁、アーチの下に入ればよい。
お客様は(傘をさして)と言うが、もちろんどしゃ降りの場合には近くの教会も借りてある。
【ステージ正面】
【ステージ正面】
【後方】
【後方】
ジャン・マルクのピアノはすばらしい・・


昨日初めてドヴォルザークのピアノクインテットの音出しをした時、最初のピアノの序奏を聞いて私とセカンドヴァイオリンを弾いている黒川侑君も目を丸くした。

何と言う柔らかさだろう!!

なんだか彼は年を取ってうまくなったみたいだ!それに教え始めて数年、言うことにも貫録がでてきた。まったく嬉しい事だ。

2回の演奏会に続きマスタークラスが始まった。

古城の素晴らしい部屋で14世紀、いや11世紀からの家系図に囲まれて過ごす歴史の中、執事にかしずかれながら毎日手作りの料理をいただく。
レッスンは大きなサロンで。

その隣にはそれこそルイ16世署名の領地分割の手紙が置いてある図書室がある。ルイ署名チャペル・・には洗礼用のたらいがあり、ステンドグラスの光を通して膝まづく姿は何と自然なことだろうかと思う。

【大階段】
【大階段】
【廊下】
【廊下】
【チャペル】
【チャペル】

エマニュエル ド・リヒテルベルド伯爵とその家族、お母さまのla comtesseは今年92歳。我々といつも昼食を一緒にした。

彼女との会話もまた大変心温まるものだった。「自分がここにお嫁に来た時は暖房もなくてねえ~~みんなで小さな部屋にまとまって暮らしていたものよ。私のお父さんは絶対お前には無理だと言っていたけど20歳でお嫁に来て以来、ほら、まだここにいるでしょ」と笑う。

ちょうどリュクセンブルグ王家と彼女の親戚にあたる貴族の結婚が決まりその婚約式に招待されていた(でもこの年になったらね。好奇心より利口になること。足がちょっと不自由でめまいもあるから私はここでろうそくをともして彼らの将来の祝福をします。)という。 確かに次の日チャペルには赤い蝋燭が24時間ともされていた。

夕立のあった日、「先生、なんだか赤いショートパンツはいた男の子がどしゃ降りの中にいますよ」と伴奏をしてくれている秋山未佳さん、ピアニストが言う。よく見るとそれは92歳の伯爵夫人ではいか!あとで聞いてみると「そうなの、降られたから急いで歩いたわけ」とにっこり。

広い庭には自ら手掛ける薔薇園もある。今年の冬は凍結することが多くて、根がだいぶやられてしまった・・といいながらもとても良い香りのするオレンジと黄色の大輪の話をすると次の日にはそのバラが一輪私の部屋の前にいけられていた。 そんな心遣いが本当に心にしみた。

【コンテス】
【コンテス】
料理場のおばさんは通年3~5名の家族がいっぺんに20人近くに増えて毎日10キロものジャガイモを剥く羽目になった。

子供も孫も総動員で2度と繰り返す事のないメニューを毎日展開。彼らをサロンでのコンサートに招待したところ「ヴァイオリンを弾くっていうのはあんなに体力を使う事なんですね~」と感心。
以後ますます料理の腕に磨きがかかったことは言うまでもない。

クラシック音楽の消滅、客の減り方がいつも話題になる。オーケストラの存続はどの国においても大変だ。
20年勉強してやっとお金が稼げるようになるこれほどマニュアルな職業も他にないだろう。それでも才能がなければどうにもならないし、あってもなかなか普通の生活さえできないのが現状だ。

ここの演奏会にしてもしかり。南仏の野外コンサートでもあるまいし、ベルギーの野外じゃたかが知れている・・とばかりに人が来ない。

有名、無名・・・いつの世にも宣伝能力にたけている人がいるものだ。音楽も芸術も突き詰めれば突き詰めるほど何も言えなくなる・・のが本当ではなかろうか?自ら手探りの道を歩んでいる者に取ってどうやって自分の宣伝などできる??
この頃は話だけ聞いていると(すごい音楽家)が増えている事夥しい!

しかしやはり「人集め」が今回の最大の課題でもあった。
情報社会・・・これは別にプロの世界だけではなく学生にもレポート、インタビュー、あらゆる罠が待ち受けている。言葉の端々を捕まえて詰問される。
アルゲリッヒではないが「あらゆる面で筋肉モリモリの強さがなくてはとてもじゃないけどやっていけない、この商売」と言うわけだ!

自分の子供たちにしても然り!そうえいば彼らの部屋にはロックスターのポスターもかざっていない。「すべてはコンピューターの中にあるから」本を読むという行為すら薄れてきている。本が読めなかったらどんなに世界が狭いだろうと心配する私をよそに(必要ない)という。

そんな彼らでさえ、お城では伯爵夫人を中心に、昼食に1時間半もかけて食べれば携帯をいじるだけではなく会話する羽目になる。
誰も席を立たない。一応の決まりだ。それでも彼らが先にお給仕してもらうのはどれだけ彼女の寛容さがあるのか・・を知った人は少ないだろうなあ~~

例えばマルボロではゼルキンもカザルスもみな同様に列を作り並んで食事を待った。

食事当番の役目も隔たりなく行われた。どこが平等でどこが違うのか・・は何も社会レベルで決まるものではないと言った姿勢を貫いた。
【お城での活元会も2年目】
【お城での活元会も2年目】

ソリスト生活をしていて私が一番感じたことは「なんと幼稚な事で腹を立てることがまるで当たり前の勲章のように扱われるのか」という驚きだった。

もちろんそういうスター時代は長続きするものではなくそれを支配する、マネージャーだの主催者だのがタレント、客の反応、何より売れ行きを見てアーテイストをとっかえひっかえ使ってゆく。
子供じみている行為もステージ上の緊張感、キャリアを気づいていくための孤独感に比べればたいしたことではない・・というところだろう。

そんなことを全く知らぬ学生達。お城に唯一昨年なかったwifiをつけてもらった。その感度がいい大階段にみな座ってPCを眺める。あまりにお城にふさわしくない格好だ。

こうやって教養、文化がすたれて行くと嘆くエマニュエル伯爵。彼の行おうとしている躾、教育、好奇心には全く同感だ。

私の週が終わって・・・みなそれぞれの思い出を胸にお城を去った。

来年の存続は難しいかも・・・という宿題を胸にお城を出たのはつらかった。
あまりに当たり前になったのはやはりいろいろ無理をしてもらったからかもしれない・・・・演奏会に人が集まらぬこと、昨年ソロでやった一度のコンサートとピアノ付きの2度のコンサートではおのずからかかる費用も違ってくる。自らいいだしたこととはいえその厳しい現実には目をそむけるわけにはいかないのだ。

翌週、違う演奏会を今度はお客様の立場で聞きに行った。

ブリュッセルから40分。高速道路を離れて緩やかな田園地帯に入る。緑のトンネルを抜け、お城の塀沿いに車を走らせる。
先週生徒達と歩いた路。旦那ともシャトーフォールという近くの兄弟城に赴き、帰りにやはり雨に振られ、トンネルを通って「まるでカッパドキアみたいだね」と言いながら戻った路・・

懐かしい・・・今は自分の部屋は無くなってしまったけど、このどこもかしこもよく手入れされた城はまさに宝石のようだ!

突然の訪問にびっくりしながらも嬉しそうな伯爵達に招かれて今度はサロンで演奏会前のシャンペンをいただく。今まで一度も飲んだことなかった!だっていつも音楽会の前だったから。

たくさんの人の来訪で嬉しそうなエマニュエル。執事は「この間のサロンコンサートはすごかったねえ~。あなた達が去って、月曜の午後はお城中全くし~んとして・・・」
12名のヴァイオリニストに子供達。どれだけチャイコフスキー、シベリウス、パガニーニ、と毎日「きいきい」聞かされてうるさかったことだろう。そういうと「でもお城が生きるからね」と一言。

演奏会はあいにくの雨で歩いて5分ほどの教会で行われた。

私は今まで4回の演奏会を全て幸運な事にお城の中庭で弾く事ができた。最後の生徒のコンサートはホール。40席並べた椅子が雨にもかかわらず、来てくれた人達で80席の盛況。
この田舎でしかも生徒のコンサートにしては珍しいことだ!

中庭の音響はコンセルトヘボーや音響の良いとされている世界中どこのホールと比べても見劣りしない。どんなニュアンスも出せる。音が柔らかい。
しかしながら天井があるわけではないのでいつも天気とにらめっこ。絨毯の敷き詰められたステージはビニールで覆われている。ピアノは必要な時だけ借りてくる。天気の悪い時のために教会にもピアノを借りるのだから大変だ。

エリザベートコンクールの本選が行われるブリュッセルのメイン会場「ボザール」ではないのだから・・コンクールを競い合っているわけではないのだから。と伯爵はこの「気儘な」オルガニザーションを止める気はない。またそのために非難されている節もある。しかし私はこういうのもありかな?と思う。

いつもいつもきめられた時刻に決められた場所で演奏するのではなく、世界中に一つぐらい、こういう天気と相談しながらいきてゆく音楽会があっても良いと思う。

聞きに行った演奏会のあと、雨あとの夕焼けがきれいだった~
その中を腕を取りながら音楽の余韻に浸りながら、丘を下りる聴衆の満ち足りた笑顔が忘れられない。

宝石のようなお城はやはり宝石のような心を持った人々に使われて輝きを増す。

そこで音楽を分かち合えたことに乾杯!

2012年7月 ブリュッセル
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