活元運動は空想力だ!

今日も我が家で活元会を行った。このところ10日間のリズムを尊重して日にちを選んでいたら合わないことおびただしい。 生徒達はやはり平日の昼間など来られないものだ!
日曜夜、西日が強い居間の時間帯も考えサマータイム開始の今日は夜7時から行った。
8人参加、2人以上で行う相互運動もあぶれる人なし!

まだまだ光がまぶしくてそれをさえぎるための簾の調整に忙しい。と思いきや生徒たちはブーツ履いてやってくる。「外は寒かったですよ」
そうなのだ。この寒暖の差の激しさに体調を崩す人も多い。

我が家の鳥たちだって、過保護と言われつつ昼間はベランダに出すけれど明け方に冷えて鳥かごに落ちて死んでいるのを見るのがいやなので夜は室内に入れている。
鳥屋に言わせれば「出したり入れたりしないように」と言うことだから様子を見ているけど。

さて、2月の3日続きの活元会以来の人出になり、居間の机もソファも動かして場所を作る。
何しろここは「道場」ではない
ヴァイオリンの練習場所、兼、食堂、兼、活元場所を確保するために家具のほとんどはキャスター付きだ。 軽く動かせることは何よりの重要ポイントになってきた。

みんなが集まり、ちょっとお茶、今日は初めての人もいる。

説明しつつ活元運動。独りでやってあと相互運動。 なんだかみんなは「もういいや~」みたいな中(ほら!若いのもう1回)とお尻たたいて2組目の組み合わせ。私は弟子のベルギーの女の子と組んだ。
肩甲骨がぐっと開いている。5種。手足が長いこと。それに私とは全然骨盤の高さが違う!どうりで足が長いわけだ!(笑)

最初は年上の私が前になって。

立っていた姿勢から座りたくなった、そのうち足が出したくなった・・・

それすべて「あ!」と思う空想から生まれる。

こうしたら気持ちよさそう・・・

それをやらないで無理に同じ姿勢で続ける・・のは嫌だ。

なぜそう思うのだろう?

とにかく(手段無し、目的なし)の活元運動の良いところだ。

その「あ!」の空想通りに動いていくとまた次の動きが出てくる。

冬の季節の木々のように一見止まってしまっている時間・・・それも大切だ。

そこで挑発、誘導されなくても、体は次の動きとそれが出るタイミングを知っている。

数秒後には全く違った動きが出てくるのだ。

そうこう行っているうちに自分のヴァイオリンの練習の事を考えた。

子供たちがまだ小さかった頃、「40分間世の中何が起こっても我関せず」と言いつつその時間だけは確保した。 別に世の中何も起こらなかったし不思議と子供たちがその間に邪魔しに来た記憶もない。

今や彼らは18歳と15歳だ。もう母親の役目と言えばとにかく食べ物を作る事、時折見せる疲れに「手」を当てることぐらいだ。 それでも毎日「ママ~」と抱きついてきてくれる。

しょっちゅう(いなくなる事)の恩恵?かもしれないが良く育ってくれたものだ!
と感心してしまう。元来(極楽とんぼ)の私の性格も幸いしたかもしれない。

また脱線したが、ようするに「練習時間」それは一体、実際何をするのか?
40分世の中に何が起こっても我関せず・・といきり立たずとも良く考えると私のやっている「練習」というのは要するに 「ぽか~ん」として「この曲想、フレーズをどう弾いたらよいのか」を考えることなのだ。 もちろん技術的な事もある。しかしながらそのこと自体そのテクニックを全うする、 やらなくてはいけないではなく、必然力は(どう弾きたいか)の方向が決まった時に自ら起こってくるのだ。 決して「メトロノームで指がこれだけ早く回らなくてはいけません」のではない。

そう思うと(ポカ~ン)として待つ時間、試行錯誤して弾いてみている時間、それはなんと活元運動に似ていることだろうか!

湧き出る空想は追わず、しかしそこから道が見えてくる。

以前(手探りの旅)と書いたどちらかといえば気負った姿勢も、今になって「ポカ~ンとした空想の産物」と感じる。

活元運動はその「空想力」を訓練する時間だ。

と、原稿に書かなきゃ!と思いながら筋道を考えていた今日の活元はもしかしたら本当じゃなかったかもしれないけれど、 私にとっては何かが腑に落ちた一瞬でもあった。感謝!

2012年3月25日 ブリュッセル
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