3日間の活元運動
初めて3日間連日の活元会をやった。2月3,4,5日。
なんだかこのまま春になりそうな湿り気のある風が吹いていたころ決めたこの日にちだったが、全く反対の大雪にマイナス6度という天候の中での会になった。
ここで日本人の生徒達と始めた活元会も1年半を過ぎ、クラスのあとの半分も「僕達も入れてよ」というので今や国際色も豊かにベルギー人、フランス人、ポルトガル人、モルダヴィア人と増えた。
やはり「お国ことば」でおしゃべりしたいから何ヶ国語が飛び交うけれどそれも必要。
「3日間活元」は私自身何年もやっていなかったし、また日本以外の土地で先生もなしにできるとも思っていなかった。
だんだん経過してきて「やってみようかなあ~」の問いかけに賛同して人が集まった。
音楽家は敏感だ。いつも体を使っているし何より目に見えない「何か」の重要性というか大切さを感じている。それに指、手を当てるのは本当に微妙な音程をさぐる事や、音色を変えることなどと相通じるところがある。
それはみんな感じている。
だから年の差は2倍以上もちがうけれど彼らとここで「活元運動」始められたことは私にとってもラッキーだった。
さて一日目、わいわいがやがや・・といった感じでみんな集まる。だいたいおしゃべりが尽きないで「さあ始めよう」というまでに時間がかかる。
その上この日はしんしんと降り注ぐ本格的な雪になった。トラムもバスも大混乱・・・になるちょうど前にみんな到着した。外はすっかり雪景色。「寒い寒い」と入ってくる子たちにお茶を振るまう。
雪の日は体が変わるという。
それもあったのか(あれえ~この人達こんな動き出たっけ?)と思うぐらい素人軍団結構まともに活元運動がでるようになった!これは驚き。
季節のせいか、雪の日のせいか・・それとも私の意気込みのせい??
二度の相互運動まで終わったとき、「これで失礼します。今出ないと電車がきっと大混雑になるので」と三人ほどが帰った。
ベルギー人のこの三人は平日だけブリュッセルに間借りしている。週末になると大きな荷物・・おそらく洗濯物?をかかえてアントワープなどに住む親元に帰るのだ。
残るは日本、フランス、大西洋岸・・・遠くて帰れない組。ちょっとしたごはんで話が弾む。一人は(はあ~これで落ち着きました)と食べたぁと言う。なんといってもまた食べざかりの子供たち。それと私自身驚くのが、自分がいろいろ思い出す話を気持ちよく彼らに語っていることだ。
二日目、大雪のあとの晴天。まぶしくて雪目になりそうな太陽の下でも寒暖計はマイナス6度を上がらない。まったくもって久しぶりに味わう「肺の中まで凍る空気」の中私も歩いた。知り合いに会って「この中じゃコンサートは弾けないよなあ~」と言うので「あなただって聞きたくないでしょ」と笑いながら答える。
昨年の大雪・・・昨年は11月末から12月末までほとんど雪が消えなかったのだ。その中で運転する(コツ)を身に付けた。とにかくそろそろと行く。これも体が覚えている!
2年まえの雪道ですってんころりんとして後頭部を打撲したことがある。それ以来足元の滑らない靴を選ぶことは必須だ。
きのうの激腹減りの子の顔が目に浮かびまた食事を作る。カルボナードフラマンドと何やら煮込み。
今日は何人来るかなあと思いつつ、ヴァイオリン練習、買いもの、食事、用意、お風呂・・バタンキューと休憩!
その数十分後にみなさん到着。「寒い寒い・・」ご苦労様な事だ。
二日目は良く動いた。なんだか動きが下に行くようだ。筋肉痛もあるけれどこの機会を活かそうと思う。
しかし疲れた・・・なんだか首も背中も痛い。変な話だけどこういう時、普段は活元運動をして治すのだがなんだかそれが主になっていてそのせいで痛いというのはまだまだ修行が足りないのかやりすぎなのか!
三日目・・・金子先生に「どういう塩梅でやったらよいのか」と打診した「良くわかりませんが虚、中、実という風に持っていければ」とおっしゃる。
なるほど、考えてもみなかったなあ~一日目から動きすぎてなんだか「実」に入る前にくたびれてしまったのは誤算だった。
3人だけ連日参加。みんな一様に同じことを言う「疲れた・・」
それでも三日目始めてみると動きがなめらかな事がわかる。本当に今まで動きもしなかった子もそれなりになめらかに動く。
2度目の相互運動は止めにして愉気することにした。合掌行気を見よう見真似でやってみる。手のひらを合わせて行ってそこから出る(気)(なんだか涼しい風が吹いてます)と。
その手で相手の背中に手を当てる。みんな素人だから操法はできないけれどどこがおかしい、冷たい、そういった感覚はわかる。
今日の終わりの方がなんだかまとまった感じがした、と私。一人は(なんだか僕寒いです)要するにお腹すいてるんじゃない??
でまたごはん・・ポルトガルの溶けるチーズにワイン、市場で買った鳥にスペアリブ、水球から帰って来た左門と勉強してた道子も加えてのピクニック的ディナー。
ケルト文化の話になりストーンヘンジからオカルト、ホラー映画、いろいろな体験・・と話は弾むけれどもう夜も遅い。
片づけ・・をしているうちに居間のピアノの譜面台に乗っていたブラームスのホルントリオのピアノパートを一人が弾きだした。ブラームスの母の死後書かれたという3楽章、アダージオ、メスト。悲しく重い、そして限りなく美しく愛情に満ち溢れた歌。まるで古の暗い空に一筋の光が差すような一瞬がある。思わず私はヴィオリンを取り出し、メロディーを弾く。皿洗いしてくれていた子たちもみんな集まってきた!
(3日目は実)は活元運動ではあまり分からなかったけれど結局わたしたちみんなヴァイオリニスト、音楽家の「実」はこの曲で結集した。
さて明日からまた新しい日々が始まる。