鎮魂のコダーイ
明日はここブリュッセルで「チャリテイコンサート」がある。もともと日本のためと企画されたはずのコンサートが9月末にチラシを見ると「国境なき医師団」へのチャリテイーとなっていた。
いろいろな誤解やら意志の疎通の難しさがあったのかもしれない。
一度は(では降りる)とまでなった。
しかし弾く事にした。
コダーイのデユオをチェロの辻本玲さんと一緒に弾く。彼もわざわざ日本から一足早く留学先のスイスに戻ってきてくれた。
コダーイはハンガリーの作曲家だが、バルトークとともにハンガリー、ルーマニア地方の民家を回りながら民謡を採集した。その旋律は日本の馬子歌に似ている。このデユオの曲も歌舞伎の幕が開く時の拍子木に似た場面、またはおどろおどろしい劇伴のような効果、津軽三味線、・・いろいろ日本の事を思い起こさせる場面がある。
明日はその話もしようと思う。
先日、仙台を訪れた。震災後初めてのことだ。
空港まで迎えに来てくれた仙台国際音楽コンクール推進課の二瓶さんが道すがら(ここまで津波が来たんです)(ここで食い止められた)「あそこの小学校の2階まで水が来たんですよ」と説明してくれる。
もし彼の説明がなかったら、ただ、だだっ広い大野原。空から見た景色は海と川と陸地が混とんとしていた。松林はほとんど最後の一列を除きなぎ倒されていた。詳細が見えないからそういう景色はどこにでもある、と思った。
次の日、荒浜地区に行った。
今はがれきも大方片づけられている。
ただ家いえの跡、土台が残っているだけだ。忘れられた井戸がある。だれが建てたのか赤い鳥居が立っている。ところどころに残った学校があり、稲を取りこむサイロのようなものがある。一番大きかったコンビニは跡形もない。
物音一つしない・・・
堤防を上がるとすぐ海だ。
なんときれいなことだろう・・・
何もなくなった跡地の広大な空・・
海はエメラルド色に光り、太陽の加減でいかようにも見える。
美しい・・・
「こういう状況がず~と200キロぐらい続いているんです」と二瓶さん。
ぞお~っとした。
ゆくゆくは公園になるという。
海辺の思い切り広い場所で声をあげて遊ぶ子供たちが帰ってくるまで、まだまだ時間がかかる。
被災された方々一人ひとりにのしかかる苦労は並大抵のものではない。
半壊の家屋につき50万円が支払われるという。
(外から見ても何ともなくても壁紙1枚はがすとあらゆるところに亀裂が入っている)
そんな家屋を直す業者探しも困難を極めているというが総額900万かかる・・と言われて二の句がつげなかった。
(それでそれあなたが払うの)
(そうですよ)
全くやられ損とはこのことだ。
翌日お会いした奥山市長さんは笑顔で(波に流されたタンス預金までは負担できないんです)とおっしゃっていた。彼女の英断、静かなるしかし確固たる決意を持って「仙台国際音楽コンクール」も2013年に存続が決まったという。
今、ここブリュッセルで同じような広い空をながめ、あの荒浜の景色を思う。
寒かった水につかりそのうえ降ってきた吹雪で亡くなられた方の最後を思う。
いのち・・
この尊いもののために明日は弾こうと思う。