倉敷・春はモーツアルト
春はあけぼの、霞のむこうにモーツアルトが聴こえる・・
なんともいえぬ光のまぶしさ。
紫がかった山々。我が家からの『森』も日いちにちと色合いを増していきます。
毎年児玉桃さんとやってきたシリーズ「モーツアルトのヴァイオリンソナタ」
昨年の「モーツアルトイヤー」を最後に完結しました。
平佐さんという名マネージャーの「仕掛け」が見事に花開いたとも思われるこの企画。「半信半疑」だった私も、今ではすっかり「モーツアルトのヴィオリンソナタ」のファンです。というのも、もともと「ピアノソロにヴァイオリン伴奏つきのソナタ」と言われるぐらい、ピアノが主流を占めるヴィオリンソナタで、本当に自らを出し切れるのか?という心配があったからです。が、毎年練習していくうちに、そのあまりのファンタジーの多さ、曲想の違い。また、児玉さんのたえなるピアノの調べもあいまって毎年「春はモーツアルト」霞がかかり、木々が色づいてくる、生き物たち、むずむずと動き出すと待ち焦がれる「企画」へと変わっていきました。
毎年、青葉台フィリアホール、今はもう閉めてしまわれた名古屋ルンデ、朝日浜離宮ホール、そして2年目からこの「倉敷コンサート」にも出演させていただきました。
なつかしい大原謙一郎さん。れいこさん。倉敷コンサートの皆様の顔。
今年は「もう行かれないなあ」と思っていたところ「ハギモト夢コンサート」という企画に携わることになり、またみんなでやってきました。今度は私の友人のヴァイオリニスト、フィリップ・グラファン。そして若きチェリスト宮田大くん。今井信子さんとの共演も久しぶりのことです。
時差がある人もいるので、児玉さんと先に練習。「モーツアルト・KV454」です。
何度弾いても毎回発見があります。「ええ、こんな曲だったかしら?」と児玉さん。
メロデイーの美しさ。「うつろい」の瞬間。果てしなき「深淵」をのぞきみるような
怖さ。
一転して変わる「ハ、ハ、ハ」と笑いの世界・・・
死と隣合わせの生をこれほど「粋」に感じさせる作曲家も、他にいないと私は思います。
名画に囲まれておこなわれる「倉敷コンサート」は、いつも趣があります。
インスピレーションをもらう・・・ことも確かですが、なにか芸術一般にある「心地よさ」に腰をすえて味わうことができる・・・ホッとする空間です。
見栄もはったりもいらない本物のみがもつ「静けさ」、そして「想像力」。
私はいつもこのコンサートで、自らに帰る瞬間が楽しみです。
倉敷の町並みもすばらしい。控え室となっている館長さんのお部屋の小窓から見える景色。屋根瓦が夕刻の陽にそまってゆく風景・・・それを見るだけでも安らぐのです。
「ていねい」な街の方々の対応も、忘れてはなりません。
本当に毎年ここに来られることで、浄化されている部分があることに気がつきます。
「外国に住む」というのは、知らず知らずのうちに、エネルギーを吸い取られている部分があります。「自国に帰って満タンにして帰ってくるのよ!」とは、私のオランダ語の先生の言葉でもあります。彼女はオランダ人。本当にベルギーとオランダでは、目と鼻の先なのに「同じようなことを言うのだなあ・・」と思いました。
今回も忙しいスケジュールのなか、日本の初春も満喫。
エネルギーたーくさんもらってきました。