活元運動・秋

久しぶりにみんな集まった。新学期が始まり、いろいろ新しいことも多い時だ。その上この気温の大変化は、ただものではない。25度以上30度近い真夏日が続いたかと思うと、突然12度になる。かと思うとまた生温かい風が吹く。これからの長い冬の到来を思って、鬱状態になる人も多い。風邪をひく、鼻をかみながらレッスンに来る生徒も数人いた。
「あそこが痛い、ここがおかしい」と体の異常を訴える人もたくさんいる。

いつもは音楽をかけない活元会だが、今日はブラームス・シューマンのカルテットをかけた。かけっぱなし・・・

音と音のぶつかりあい、ハーモニーの複雑さが秋の頭の中によく似合う。
よくもこんな曲を書いたものだ!と半ば驚嘆、半ばあきれ果てて、それでも音楽に身を任せる羽目になる。

羽目になる・・とはずいぶんと失礼な言い方なのだが、やはり音楽を「生業」としていると他の人ほど素直に聞けない部分があるのも確かだ。

動きの中で思った。

日本人同士がこうやってベルギーの地でブラームスを聞きながら、それもカッパドキア絨毯の上で活元運動をやる。

これはもしかしてかなり偶然な事の集まりかも!

トルコの旅のガイド、マフムッドは「5分間手織りの絨毯の上に座っていると悪いもの全部吸い取ってくれるんだ」と言っていたっけ!まるで畳の上と同じこと。畳のモノトーンに比べてかなり派手な色彩ではあるが手織りの持つなめらかさ、厚みは心地よい。ひっくり返っても気持ち良い。

私の場合最初頭の中は「あれを食べようか、あっちのワインが合うか」ととにかく胃袋から入る。そのうちそれを通り越して相互運動を組みかえる頃には思いがけぬ動きが出てくる。それも突然に。
今日の場合は捻じれの全身運動だったのだが、それが出てくるころには食べ物などどこかへ飛んでしまう。

沸いては消え、沸いては移ろいゆく頭の中、まさに頭の中の運動会が表に現れるようだ。

終わるころには心地よい疲労感、「ママ疲れた顔してるね」と娘に言われるが、これが本当の姿なのだ。

おしゃべりの尽きない生徒たちが帰り、食事を作るのもめんどくさい、活元会前に考えていたような「みんなで中華!」の気分も失せる。

まったくもって「予定が立たない」のが活元会の後だ。約束はできない。

ちょっと遠ざかったワインに手が行く。
「おいしい!」

だからなかなか禁酒できませんねえ~きのうとは全く違った「余韻」を同じワインで楽しめたのも体が整ったおかげである。

そういうわけで週末禁酒デーにはならなかったがおいしさを取り戻した。

この「ワイン」これもまた奥が深いのだがこれはまた次回書くことにする。

そろそろ日本行きの準備をしなくてはいけない。

今回はどんな旅になるだろう?もう私の大好きな「きんもくせい」の香りは終わってしまったかな?ここ数年・・というか10年ぐらい嗅いだ事がないかもしれない。

子供たちが留守の間、無事に「過ごしてくれる」事を祈るのみだ。

2011年10月 ブリュッセル
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