小澤征爾さん
「サイトーキネン・フェステイヴァル」の事が気になってサイトを開いた。
オーケストラの項目に行くと、ブラームスの1番のシンフォニーの4楽章、ホルンのテーマが聞こえてきた。
突然、音楽に渇望したかのようなセンセーションが私を襲った。
なんと言う神々しい光景だろうか・・
サイトの背景にある(森)の雰囲気が目に入り、そして音楽が聞こえてきたからかもしれない。
学生時代ブラームスしか弾かなかった一年は、やはりこの(驚愕)とともに始まった事を思い出した。
確か高校3年に進む春休みだったと思う。
だ~れもいなくなった暇な時間。今度上がれる桐朋学園の「Aオケ」に想いをこめて、図書室にブラームスの交響曲を聞きに行った。
うちの父はどちらかと言うと、フランス好みなところがあって、ヴァイオリンはハイフェッツ、コーガン、ミルシュタイン、テイボー、カルテットはカペー、いつも聞いていたGR版の中にブラームスの交響曲というのはなかったかもしれない。
それもあって初めて意識して耳にしたこの旋律はなんとも雄大な気持ちを味わわせてくれた。大きく拡がってゆく未来・・・
その後何度も耳にして、また私自らもオーケストラの中でこの曲を弾いた。4楽章のテーマに来るまでの葛藤、苦労も体験した。「サイトーキネン」オケの最初の頃はご一緒させていただいた。初回ウィーンの演奏会のあと、次の日飛び乗りで演奏したロンドン、バービカン。それこそ[苦労]をしてこのテーマまで持って行った小澤征爾さんの姿が今でも目に浮かぶ。うまく行く時は誰でも簡単だが、演奏会、なかなかうまくいかない、波に乗れない・・時をどうやって最後まであきらめずに、持っていくか・というのはなかなかできないものなのだ。これがハイフェッツが言う「ソリストはナイトバーを経営するマダムの忍耐力」が必要とされる、と言う事にも近い。ロンドンの時はそんな感じだった。だからなおさらこのテーマに来た時「よくここまでひっぱってくれた」と言う想いがあった。
はてさて、いつも(音)を耳にし、それを職業とする。
なかなか「感動」を持つことは難しい。
この「夏休み」は本当にそういう意味で(音)から遠ざかる事が出来た。
久々に聞いたシンフォニーの美しさに感動した。
とともに小澤征爾さんの体調がなんとか好転に向かうよう、またスケジュールも無理なく組めるよう心から希望する。
今年のサイトーキネンの演目はバルトークだった。彼が最初に桐朋学園に(里帰り)して振った曲もバルトークの(中国の不思議な役人)体からあふれ出るリズム。躍動感に思わず弾かされてしまう先輩オケの様子を目の当たりにして毎回練習を見に行った。鳥肌が立った。音楽会が終わって「サインをください」と楽屋に行くとお腹丸出し!なんだか恥ずかしくて目が上げられなかった。
その後、ボストン交響楽団と桐朋学園オーケストラとの共演、ルドルフ・ゼルキンのブラームスの1番のコンチェルト・・・あとあとまで続く凄い音楽家たちとの出会いを思い起こす・・・
エリザベートコンクール後は特にお世話になった。わざわざブリュッセルまで電話を掛けて来てくださり「あんたね、これからは7人の敵がいるとおもったほうがいいですよ。みんなあんたの事つぶしにかかろうと身構えてるから」
そんな心配をよそにベートーベンのコンチェルトをアムステルダムで弾くことを承諾してしまった。
「やったことあるの?」
「ありません・・」
「!!」
あきれ果てた彼はその当時の「オーケストラがやってきた」の収録の中で私に「アンコール」と称してベートーベンのⅠ楽章を弾かせてくれた。
これで終わり・・と思っているとタクトは下がらない!
「続けて」
と言う彼の声の下、2楽章、3楽章。・・と弾かせてもらったのだ!!
今では思いもよらぬこの出来事。31年前の話だ。
タングルウッドでの征爾さんはまさに光り輝くオーラの中にいた。
ジェシーノーマンとのマーラーシリーズ・・鳥肌が立った。
ここまで来た日本人は他にいない。ここまで私たちを引っ張ってくれた、夢を持たせてくれた人もいない。
彼が会場にいてくれるだけでみんな引き締まるのだ!
一刻も早いご回復を祈るとともに彼の存在そのものに心から感謝する。