クルシュベル

昨年の夏のことです。真夏の35度を越す暑さの日本からヨーロッパに戻りました。

さて次の旅。フランス・アルプスでのマスタークラスで、初めての場所です。
先に行っている友達に「どんな具合?天気は?暑いの寒いの?」と質問します。なんと「山には昨日雪が降った、何しろ1850mだからね」との返事。「!!」想像もできません。
とにかくセーター類を詰め込んで、出かけます。子供たちは今度は留守番。早くも「夏は終わった」様な気分です。
電車を乗り継ぐこと8時間。日本の新幹線に慣れてしまった身にとってはなんとも「不便」なフランス国内汽車の旅です。なにしろ階段が高い。10日間の旅となるとスーツケースも大きく、えっちらおっちらヴィオリンと荷物を持って。電車に乗るだけでもひと苦労です。そして、もう忘れてしまったような以前の「コンパートメント」、なんと「窓」が開きます!SLとまではいきませんが、乗る人が乗ったら郷愁のあるものかもしれません。飲み物、食べ物、レストランもなんだかない??乗り継ぎもめんどくさい。だいぶ私も「近代化」に慣らされた・・・ということなのでしょう。

山が近づくにつれ気温も低くなってくる。3回乗り換えるたびにひとつずつセーターを着ていきます。なるほど「山には雪」も、うそではないらしい・・・と。だいぶ経ったころ、最寄の駅に着きました。さてここからまたタクシーに乗ること1時間「クルシュベル」と書いてあります。「やっと着いた・・・」と思いきや、車は止まる気配はない・・・標高1350m。またまたくねくね曲がった山道を登ります。あたりのアルプスの景色も夕暮れにそまって雄大な山々・・・なのですが、なにしろ「この先どこに行ってしまうのだろう?」と不安がいっぱいの私としてはなんだか、淋しげな気持ちにさえなります。1650m「あ、ここだ!」・・・・まだ止まりません。
そういえば、友達は、「何しろ1850mだからねえ・・・」とかいってたことを思い出しました。もうひと登り!やっとありました「クルシュベル。1850m」ふう・・・

あちこちからピアノの音が聞こえてきます。
今度は間違いなく到着です!それにしても長い旅でした。

私が遅れて入るため友人のフィリップが先に生徒たちにレッスンをしてくれていました。彼、フィリップ・グラファンは「アンサンブル・コンソナンス」の立役者でもあり、このごろよく一緒に弾く数少ないヴァイオリニストでもあります。私とはかなり違った弾きかた、アプローチかもしれませんが、そのへんが「夏のマスタークラス」の良さでもあります。生徒たちも、新鮮な思いで勉強していることでしょう。

もちろんこういうことができるのは、私が彼の音楽を全面的に評価していること。アプローチは違っても、音楽を求める方向が似ている・・という不可欠な要素があります。
誰についても「有名」ならばよい・・・というのでしたら、生徒は混乱します。そればかりか先生たちは「どちらにせよ、他の先生のところに行ってまた他の弾きかたするんだったら適当に教えておけばいい」と、身を入れて教えなくなります。
昨今「あちらの先生。こっちの先生」とはしごしている人をたくさん見ます。コンクールの審査などしてみますと「どうやって、同時期にこれだけの先生につけたんだろうか?時間的にも、場所的にも!」と驚くような、履歴の持ち主がいっぱいです。得てしてそういう人たちは、2、3位ぐらいにはなっても、優勝することは、ほとんどありません。

今、このように情報過多な時代。昔よりもっと「選択肢」が多くなっている。
しかしもっと「難しく」なっていることも事実です。どう選んでよいかわからない!のですから。
一人の先生についたら、数年間はみっちりその人と勉強する事を勧めます。そのあと、他の世界・・・先生に行けばよいでしょう。「ヴァイオリンを弾く」ということは、難しい指使い、弓使いひとつとってみても、そんなに簡単に右、左と替えられるものではありません。まして、修行中の生徒たちは。舞台にたって「あれ、どっちだったけなあ?」なんて思う一瞬が、命取り!!(要するに、マチガッテシマウきっかけになるのです)

マルタ・アルゲリッヒもよく言っていますが、「200%練習して、出せるのは80%ぐらいだ」
というわけです。車の部品によく油をさしておく・・・とにかくとことん整備、ならぬ体にも手にも「仕込んでおく」必要があります。
「舞台に立つ」ということは発表の場です。しかしこんなことを身をもって「やばい!」と体験するところでもあります。私たちはよく、この音楽会は次への練習・・と言います。いつも、音楽は「続いていく」ことが、私たちプロの生活です。

さてクルシュベルの生活は、というと、とにかく標高1850mの山を登り降りしながら教える・・・ハアハアしながら楽器を持って山を歩く・・・健康には良いかもしれませんが、日本の湿気、暑さから一気に朝晩暖房が入り、湿度20%弱というとても乾燥したところに「体」が慣れるまでに、かなりキツイ思いをしました。
その上「マスタークラス」というのは、我々先生にとってはかなりの重労働なのです。レッスンを半日以上見た上、コンサートも弾かなくてはならない、そのための「練習」も時間が取られる。
その上、これは楽しみですが、めったに会えないコレッグ、仲間の先生、ヴァイオリニストたちとの深夜の会話もここならではの醍醐味があります。
夜遅くまで、毎日フィリップやミカエル・ヘンツというフランス人の素晴らしいヴァイオリニストと、昔のテイボー、エネスコ、カザルス、ヴェーグ、ジネット・ヌヴー。そして今もまだ現役バリバリのイダ・ヘンデルなどの本当に上手い名ヴァイオリニストの話しになると、時の経つのも忘れます。私は学生時代からこれらのペルソナリテイーに憧れていました。それもあって、パリに住んでみたり、いろいろ「フランス」の香りに近づこう・・・としたのですが、毎回どちらかというと会話が通じなく、パリもフランスの音楽界も遠いものだったのです。ここ数年フィリップと出会って「やっと言葉の通じる人と出会った・・・」というホッとした思いをしたものです。
このごろよく共演するピアニスト、ジャンマルク・ルイサダも大の映画ファン。それも昔の名画や、この頃手に入りやすくなった名演の数々のDVDをたーくさん持っています。
この間日本でも弾いたドヴォルザークの「ユーモレスク」も「スターンが弾いた素晴らしい映画があるよ」と白黒の懐かしきアメリカンムービーを見せてくれました。

ミカエル・ヘンツはジャンマルクの友達でもあります。アルザス出身で、当時のレニングラードで7年間も勉強。そのあと初めてパリに出てきた、というちょっと変わった経歴の持ち主です。何度かパリで会って意気投合しました。イダ・ヘンデルの友達でもあり、昨年ロッテルダムでマルタ・アルゲリッヒ、ステイーブン・イッシリス、イダ・ヘンデルの豪華キャストで行なわれたベートーベンのトリップルコンチェルトの時も彼、ちゃんとパリから聴きにきていました。(我々もブリュッセルから駆けつけたのです)
しかし彼の「教え方」は見るのも聴くのも、初めてでした。
壮大な山々に囲まれた小学校の教室で彼、私たちは教えます。彼が教えていたベートーベンのコンチェルトは忘れることができません。自分は先生という身分でしたが「私はこのレッスンを鑑賞するためにここに教えに来たのだ!」と思うほど、透きとおっていて、説得力があり、ベートーヴェンの音楽が自ら生まれでてくるように生徒を指導していく様を驚きと発見の連続で見ました。とにかく「響き。響きを聴け」といいます。「どうやって、弓を持つかとか、どうやって弾くか」ではなく「どうやって聴くか」に徹した授業だったのです。目からうろことは、このことです。あんなに無理して「こうやれ、ああやれ」といっていた事がみな「耳を開け、音を聴け」でいとも自然に解決してゆくのです。あとは「どうやって聴くか、ここはどういう『聴き方』をするのか」ということです。

つきつめれば、フィリップの弾きかた同様、アプローチは違っても、求めているものは同じ、ということになります。
毎晩私たち3人で話が弾みました。これも、クルシュベルの多大なる恩恵です。

生徒たちはレッスンはもとより、毎日のように山登りをしていました。
「今日はどこどこまで行った」「今日はあっちの山」とか、言われて見てみると、とてつもなく高い遠いところで、私はいつも、半信半疑で「本当??」ベルギーは山がありませんし、なにしろ、私にとっても彼らにとっても、初めての「講習会」だったので、余計に新鮮味があったのかもしれません。

パスカル・ドヴォワイヨン。ドン・スク・カン。この2人がここのフェステイヴァルのアーテイステイックデイレクターです。彼らのオルガニゼーションと、コース3回、トータルでほぼ1ヶ月におよぶ夏の講習会を続けてゆくエネルギーには本当に頭が下がります。そのうえ、彼らの奥様たち、また七島晶子さんをはじめフェステイヴァルを支えている方々は、いろいろスムーズに講習会が進むよう工夫されています。生徒のコンサート。生徒間の室内楽。
また40%を占める東洋人の生徒たちのために食事も、必ず「お米」がある、ご飯が食べられる!ほぼ50台あるピアノ。練習にも事欠きません。私はその32室だかある「ピアノスタジオ」のまんまん中に部屋があり、音楽学校の寮に入ったことがなかったけれど、思う存分ピアノのレパートリーに朝から晩までそれも5種類ぐらい一緒に鳴る!!曲のなかで1週間過ごしました。これもまた経験です。

10日間が終わり山を降ります。来る時は「なんだかどこに行くのかわからない不安の旅」でしたが、今回は周りを見渡す余裕もあります。

何と言っても「大きい!」山の裾、峪の大きさ、各家々が本当に寄り添うように臨在する村。あらためてヨーロッパアルプスの壮大さを体感しました。フィリップが子供の頃、このへんの山を3日かけてスキーした・・と言ってました。なんだかスケールが違うなあ・・・と内心ぞおっとしながらも、その基本体力、資質を羨ましく思います。
私も昔はヴァイオリンもそっちのけで八方尾根に夢中になった時があります。図書館でアルバイトしながらスキーに行くお金を貯めました。無理したのでしょう。2度目の5日間あるスキースクールの初日で捻挫して!でも、誰にも言わずに5日間こなして、靭帯を伸ばしました・・・ついに東京に帰ってきて駅の階段が降りられず!家族にばれてしまいました。(言えば「行っちゃいけません」となるので)ギブスをはめながら桐朋のオケに座ってたのも、私ぐらいかもしれません。
まったく何というヴァイオリニストでしょう!今だに「山のうえの夕日」に郷愁を覚えるのは、こんな体験もあるかもしれません。
ではまた。

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