ギドン・マルタのパリウィークエンド バッハの夕べ

またパリに来ています。
眠れない頭と硬くなった体をゆり動かしてまで、私を行かせるのは「マルタ」です。
昨年12月に私とジャンマルク・ルイサダの音楽会をパリまでわざわざ彼女が聴きに来てくれて以来2ヶ月もたたないうちに、また「マルタ追っかけ」で、ここに来ることができる幸せには、感謝しなくてはいけません。

「ママ。コンサート?がんばってね!」 という子供たちに
「ううん。今日は弾かないの」

「じゃあ、何で行くの?」
「音楽会聴きに行くの」

「パリまで?」
「そう・・・」
「ふーん・・・」 あとは沈黙です。

ラロのコンチェルトの本番が3回終わり、やっと少しほっとした週末に、また荷物を作ってでかけていく。
掃除に来ていたお手伝いさんは「マダムは時々家にいる。スーツケースの中身を取り替えるために」と、言ってました・・・


夕刻 5時

パリ。満員のサルプレイエル、ギドンとマルタのバッハウィークエンド。夕刻5時
マルタの稲妻のような衝撃「トッカータ」で幕が開きます。そして、チルドレンたち・・といっても、もう、すでに活躍している、ガブリエラ・モンテロ。ミラベラ・デイーナたちも登場。
バッハーウィルヘルム・ケンプ編のシシリアーノ。これはキューバのピアニスト・マウリシオが弾きました。リスト編のファンタジー。
そして、ペトリ編の軽いのりの後、ブラームス編曲の左手のための「シャコンヌ」聴衆も、思いっきりバッハ・オリジナルを満足したところで、ガブリエラによる「即興」バッハのテーマをお客さまからもらって、ジャズ編。ショパン風。いろいろそのときの気分で即興する・・・なかなかできるワザではありません。
お客さま自信が自ら「リクエスト」したバッハのテーマを思うように変化させていく様で、ますます客席との一体感が生まれます。その後は、ビブラフォーン登場。そのふわっとした響きに、カラダが浮いてきます。スウィングにのってギドンとマルタ登場。
締めくくりはやはりこの2人がいないと!短い曲ながら、テーマ。プラス超絶技巧2分間。あっという間に終わった!コラールを基調としたヴァリエーション。テイックマイヤー(1963)のトリオです。
にくいばかりの「音の流れ」で、1回目のコンサート6時40分終了。


追っかけ

ブリュッセルにいてもめったにコンサートには行かない私が、マルタ・アルゲリッヒとギドン・クレメルの「追っかけ」をするのも、訳があります。
何事も忘れて身を委ねられるアーテイスト、音楽というのはそうあるものではありません。なにしろ、「コンサート」とは一度入ったらイヤでも途中退場する訳にいかないところなのですから!その点この2人に関しては、問題なし!


夜8時

第2部開演に間に合うように、友達と軽い食事をして、ホールにもどります。。5分前に着いても、まだ開場されていません。よくあることです。ギリギリまで、舞台の上で、練習している姿が目に浮かびます。
ギドン率いる、並外れた実力をもつ室内オーケストラ、クレメラータ・バルチカ。ギドン・クレメルが、ロッケンハクス室内楽フェスエテイバルの流れで作った、バルチック圏を中心にしたこの弦楽奏者の集まりは、今までにも「エネスコ8重奏。ハッピーバースデーのCD」などで、私自身も耳にしたことがあります。
数年前にブリュッセルにやってきて、ギドンとともに忘れがたい、バルトークなどを聴かせてくれました。今回はこの「バッハウィークエンド」で、オーケストラを受け持ち、バッハならず、パート、グーバイデウリナ、ベートーベンの大フーガなど、そのレパートリーの幅の広さ。指揮者なしでも、お互い「待ちあう」ことのない、先鋭のアンサンブルの響きを聴かせてくれたのです。
さて、彼らの演奏する、バッハ・ブランデンブルグ6番で夜の部のプログラムは始まります。ヴィオラ2台とチェロ3本にコントラバス。低音の魅力。よくもいろいろバッハという人の頭のなかには、題材が詰まっていたもんだ、と感心します。あとで、マルタともおしゃべりしましたが「どこから出てくるんだろうねえ・・・あんなにたくさん」というわけです。


若手の正念場

そしてゲザ君。ゲザ・ホース、レゴツキー。アルゼンチンの巻にも登場する、このハンガリー人の天才ヴァイオリニスト、若干21歳で、3児の父!でもあります。「子供たちのためだったら、自分は死んでもいい!」と断言するこの若きパパは、今日、バッハの1番のコンチェルトを弾きます。
「大丈夫かなあ・・・こんなクレメラータという強者どもを相手にして。オーケストラと初めて弾く曲だろう、アルゼンチン以来すっかり意気投合したとはいえ、ここ2年ばかりあっていません。そのあいだに3児の父となってしまったのもさておいて、ソロのほうはどうだろうか・・・どうかうまくいきますように・・・と祈るような気持ちで登場を待ちます。すると、ひょうひょうと、なんだか、明るい顔で登場。意表をつかれる!とはこのことです。
若き鋭気に満ちた、どちらかといえば、プロフェッショナルに徹したような、クレメラータ軍団の黒一色のオーケストラとは「何たる対比!」思わず笑みがこぼれます。
だいぶ速めのテンポ。でもうまく乗ってる。クレメラータの彼らもよくフォローしているようです。音も伸びています、あとは彼の音楽。それは、もう太鼓判。2楽章の美しさ。3楽章の息をのむ速さ!も、ゲザ流でいいじゃない!!あんなに指が回るなんてきっとバッハもびっくり!ブラボ!!

次の演目はまたマルタ・チルドレン、酒井茜さんです。彼女は、ブリュッセルの私の友人でもあり、また私とマルタとの「架け橋」でもあります。東京の私の演奏会でも、一緒にブラームスの1番のソナタを弾きました。
「バッハーブゾーニのコンチェルト、サルプレイエルで弾きます」とメールをもらったのもついこの間!大丈夫かなあ・・・これもまた、老婆心ならぬ、こちらが緊張してしまう一瞬です。お母様、おじ様も日本から駆けつけています。

かなり速め。ずいぶん難しい曲!それも指揮者なしで、初めてのオーケストラ共演。並大抵のことではありません。合図、弦の響きとの兼ね合い。音の出し方のタイミングの違い。同じ弦楽器奏者の私たちでさえ、これらをクリアするのは大変なことなのです。
まして、リハーサル今朝30分だけ!!の状況は、ほとんど「ぶっつけ本番」に近い。それもこんな大舞台で!! しかし彼女よくやりました。!よく練習してあったし、音の「たち」も、バッハと一致。ファンタジーをたくさん織り込んだ演奏に、お客さまの拍手がとまりません!!

やった!!!

よかったね。あかね!

舞台裏に会いにいくと、結構普通の顔しています。
そういうものです、うまくいく時は。

「ああ・・・3年分ぐらい緊張して、心臓が口から飛び出すかと思った」
「3年分ならいいでしょ。みんな、一生をかけるんだから」と、また余計なことをいう私。


それにしても

こういう「若手」にチャンスを与えるのも、実は容易なことではないのです。
音楽業界。だんだん難しく「仕事場」の確保。われわれソリストの保障は、どこにもありません。定年もないかわり、「売れなくなったらおしまい」。キビシイ現実です。
ゲザも茜も、若手の初々しさを、思う存分お客さまと分かち合いました。2日目にギドンが、やはり若手のヴァイオリニストとバッハの2重協奏曲を弾きました。チルドレンというよりは、孫?しかし、楽しそうに彼女をフォローし、導き、自ら、クレメラータの指揮をとり、音楽を遂行してゆく姿は、見ていてなんとも、微笑ましい・・・私も以前大ピアニスト・ゼルキン氏と一緒に弾いたことがあります。もしかしたらそのとき、こんな愛情に包まれていたのかもしれない・・・と思いました。
これが、「人の営み」自然の摂理なのです。


グレートマザー現る!

そしてプログラム後半。いよいよマルタの弾くバッハ・ソロ曲。パルテイータ2番ハ短調です。キビシサ。優しさ。何倍にもなる倍音の届くところ、彼女のハートが飛んでいきます。聴き取れないぐらいのピアニシモも不安感を与えるどころか、その「聞こえないものの深さ」を感じさせます。まさに「目に見えるは氷山の一角にすぎぬ」の感があります。

そしてそこには、ギドン・マルタ両名のいわば「チルドレン」たちの出演を暖かく、しかしきびしく見つめる「大母」(グレートマザー)の姿が重なります。
だいぶ白くなったグレーマロン色の長髪も彼女にかかると不思議な美を生み出します。

「微笑」(みしょう)
「慈しみ」

自ら3人の子供を育て今は、「孫は楽!」といってその世話をいとわない彼女。その生活ぶりは、以前から、私にとっては「グル」のような存在でもありました。
学生時代、彼女が子供を生んでは2、3年キャリアから遠のく。また復活、そしてまた遠のく・・・この世のものとは思えぬ名演奏あれば「きょうはだめ」のミスタッチだらけのこともある・・・「何という人だろう。」と思っていました。
私が17歳ごろはじめて聞いた彼女のフランクのソナタ、ヴァイオリンはギトリス。第1楽章のピアノのソロ。そこでの「高揚感」には、「私と同じこと感じてる!!」と飛び上がらんばかりに驚いたものです。

そんな、「共感」をきっと私だけではなく、多くの人たちの中にもたらす、それが、彼女の才能です。 マルタ・アルゲリッヒ、その音は彼女の内面を直接映し出します。すーっと心に響きます。

今回は2月の3日に2回のコンサート。そして翌4日、日曜日の5時にもう一回。すっかり、バッハに染まった・・・というより2人の全面を出した「音楽への接し方」のありかた・・・にまたまた頭が下がりました。友人たちとの再会。
マルタとの「おしゃべり」ギトリスが語る、ハイフェッツの親交。ハイフェッツの録音を手がけた父子の話。彼らはなんと、ブリュッセルならぬ、アメリカ、ジョージア州アトランタからわざわざ駆け付けたのです。
明日本番にもかかわらず 、嬉しそうな、マルタ・・・深夜のマルタ家での会話は尽きません・・・では、また・・・

2007年2月4日 パリにて
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