トルコ(1)アンタリヤまでの道
偶然というのはたまたまそうあるのではなく必然性を持って存在するのだと思う。
今までの生きてきた道を振り返ってもそうだし、今回のトルコ旅行だってまさにそうだ!
貯まったマイルを使って「どこか探して!でも海岸でただ日焼け…はいやだから歴史があるところ」となじみの旅行会社に頼むと、「7月後半などというハイシーズンはギリシャ、エジプト、イタリー、スペイン皆満杯ですよ。トルコ南のアンタリヤと言うところなら取れますよ。」と聞いたこともない名前のところを推薦された。
地図で見ると「アンタリヤ」は地中海に面し、キプロス島の北、「トルコのリヴィエラ」といえば聞こえは良いが要するにあまり人がいかないのだろう。しかしながら地中海というコートダジュール、ギリシャ、クレタ島などと同じ海だ。3年前の旅行ですっかりギリシャの海と風に魅せられた私は「OK」サインを出した。
しかし1週間海辺で海水浴はなんとも耐えがたい。いくら日陰で推理小説と言ったところでたかが知れている。なんとか「歴史」はないのかと聞くとまわりにはギリシャ古代劇場や遺跡がある。パムケルという石灰石がだんだん畑のようになりそこを温水が流れる・・という温泉もバスで3時間だという。
「え~そんなのめんどくさい」という子供たちを連れての旅行だ。なんとか皆が楽しく過ごせるよう、それがなんと言ってもバカンスの意味でもある。
そのうち「そういえばカッパドキア」と言うところがあったなあ~と思いだした。ヒッタイトの昔から文明の発祥地だったこの地。なんとも気になる響きである。
ダメ元で旅行会社のシャンタルに聞いてみる。彼女とはもう30年近く一緒に仕事をしている。いつもわがままな私の予定変更を良く聞いてくれ、最善の処置をしてくれる。しかし(休暇)の要請をすることはほとんどなかった。
「またいつものきまぐれ」と思いつつ、でもシャンタルはすぐ調べてくれる。「ユズコ、カッパドキアは6時間ぐらいで行けるよ。ただ日帰りは無理だから何か向こうでツアーに入るのが一番良いと思う。今リクエスト出してるから」と言う。
数日後地元、トルコからの返事が来てツアーが成立するという。
「やった!」まさかこんなチャンスが到来するとは。行けるとは思っていなかったカッパドキアに行けるなんて。
「しかし6時間のバス旅行ってどんなもんだろう・・」
東京の妹は「危なくないの?そんなところに行って?」とさっそく言ってきた。
たしかに行ったことないところで、それもトルコ語なんて一つも知らないし、それともイスラム教だからアラブ語?
全く予備知識ないことおびただしい。
そうこうしているうちに「お城でのマスタークラス」も始まり、そこはネットも使えず。
とりあえず、飛行機の切符だけは「ただチケット」押さえないと!
と言うわけで3人?いやこのころになると腰の重い旦那も話しを聞いているうちに「なんだか危なさそうだなあ~」というわけでケビン・コスナーばりに(!?)ボディーガードで「仕方ない、行くか」みたいな気配になってきた。
実は私たちはフツーの人達がやるような「家族旅行」はしたことがない。いつも旅ばかりの生活にまたまた荷物作って出かけるおっくうさがある。また子供たちの好きなデズニーランドやら遊園地もだいぶ親も無理して連れて行ったが、そのうち旦那は一切そういうものにはついて来なくなった!その上日本の休日が多かった私と子供は旦那を残して出かけることしきり。
いろいろ大変な時期もあったのだ。
夏と言えば家族そろってたくさんの荷物を車に積み「いざ出発!」と出かけて行く友人たちを横目で見て「いいなあ~」と最初のうちは口に出していた子供たちも、最近では友達家族からの誘いをひょいひょいと受け入れ、どうせ当てにならない親よりはそっちで夏のスケジュールが埋まってしまうほどだ!
私はその間「練習できる」と内心ホクホクな一面、元々4つの惑星のような生活をしている私たちの間がますます遠くなるような気がして寂しさもあった。
そういうわけで「アブナイ」トルコに行く羽目になったのも偶然。4人そろって出かける羽目になったのも偶然。
またまた機上の人となった。今回はヴァイオリンなしで!!!
着いたアンタリヤ空港はもう夕暮れ。海際まで迫る高い山々に夕日が沈むところだ。
そのリアス式海岸のような岩の間から滝が流れている。
飛行機を降りるとむっと熱い。忘れていたこの熱さ!日本の夏を思い出す。
蝉の声が聞こえる?いや、「ほら、日本で秋になく虫の声みたいだよ」と娘、道子。
本当になんだか日本と似ているなあ~~
何しろ先週からブリュッセルは17度、出かけた今朝など14度しかなかった。
38度のアンタリヤ。20度以上の気温差はすごい!
湿り気も多い。「ギリシャの風」とはまたちがうのかな?
エージェントが用意してくれたドライバーの車でホテルへ。道の混み具合、騒音、バイクに一杯ものを積んで車線も何もあったことなく運転する人達。工事中で渋滞すると怒鳴る声が聞こえる。窓あけっぱなしの外から入ってくるのは匂いだけではなくあらゆる空気だ。
深夜に着いたベトナムのハイウェイを思い出した。南に来るとこういう気質になるのかもしれない。
ホテルは写真で見た通りの高層住宅。残念ながら「小さな海沿いのホテル」とは違って多くの旅行者、ロシア語ばかり聞こえる。そういえば空港についてパスポートコントロールを待つ間に聞こえてきたバカンス旅行者の言葉は東欧、ベラルーシ、ロシアがほとんど。確かにフランスやイタリーに比べたら彼らの国に近い。安い。挨拶一つしないし、マナーも何もあったものではない。彼らの態度に旦那は早くもぶすっとしている・・・困ったな。
次の朝、海岸までの送迎バスで出発。またまたロシア人のみだ!
ここから4日間は子供とそれにパパの要請でひたすら「海水浴に日焼け」
私は帽子かぶってサングラスして海に入り、レイモンド・チャンドラーの「The long Goodbye」を読む。村上春樹訳の文庫本はこの旅の特に前半のなんとも良い「お供」となった。感じ方、言い回し、その訳し方、ストーリーの面白さは全く最高だ!アメリカ西海岸」の70年代の様相も今の海の雰囲気とぴったり!それにちょうど波の音を聞きながらの読書はそう早く進めるものでもない。熱い砂の上では集中するにも限度がある。貴重な日本語の本を読むのにちょうどよかったわけだ!
しかし実際3年ぶりに海に入り少し波の高くなってきた午後に泳いだ時、私は自分が体験したわけではないのに「津波」の恐怖に見舞われた。たかだか50センチぐらいの波がそれでも繰り返し襲ってくる。波に乗って沖合に行く時そのタイミングを外せばすぐ水の中。3月11日の地震の前にこれも偶然飛行機の中で見たクリント・イーストウッド監督の「Hereafter」の映画、スマトラ沖地震の津波の様子が海中から撮影されていて、大変怖い想いをした。その10日後ぐらい実際に起こった東北地震と津波。繰り返される空からの映像と、実際海中の中にいる体験を想像して息が出来なくなった。今回海で泳いで見てそれをふと思い出した。その「恐怖」を超えるのにちょっと時間がかかったのだ。
あの地震を体験して、映像を見て、しかしながら私はまだまだ遠くにいたのにもかかわらず、である。現地のみなさんの体にしみついた恐怖は筆舌につくしがたい。
海から上がり、はあ~と一息。真水のシャワーを浴びてさて読書・・と思うのだがここで一つ。
「なぜ海岸でも音楽が流れているのだろう?それもロック調の」
私はこれが嫌で「小さな」ところに行きたかったわけだが、それを子供たちにいうと「ママだけ文句言う」と言う。彼らにとっての「普通の音楽」はこういうものだと言う。「クラシック」ではない。それにもしクラシックが流れていたらもっとげんなりするだろう。何しろ耳はふさげないのだから!
「聞きたい権利があると同様聞きたくない権利もある」と私。
及ばずもがな、ホテル内ではいたるところに「バックグランド」と称する音があふれ、夜には若者向けにデイスコの騒音!
これが実は一般的な「バカンス」になりつつある。
お城で一緒に講習会を開いた・・・というかやらせてもらったエマニュエル・デ・リヒテルベルド伯爵も「静けさ」と言う一文をプログラムに書いていた。彼の場合はレストランで音楽のボリュームを落としてくれといったところ「みんなこういうもんですよ」と言われたという。
「音、沈黙と測りあえるほどに」という本を書いたのは武満徹だが、まさにそのとおり!
間、沈黙、サイレント・・・があるから「実」「音」が生きる。そういえばサイモンとガーファンクルの「サイレント・オブ・ミュージック」と言う曲もあったなあ~~
本を読みながら「さてどの曲を聞こうか?」と迷っている間に時が経ち、あるいはその「ミスマッチ」にうろうろする羽目になるのが嫌で、今でも私の部屋にはオーディオもない。文章を書く時も他の言語はもちろんのこと、音楽があるとダメだ。
と少々話がずれたが、その「音」から逃れるべく私はなるべく波打ち際にいた。東京にいる母が石に詳しい。彼女に持って行こうときれいな石を拾いながら!結果どんなに日焼けしたかは想像にお任せする。
2日目からはその「海」を夕方まで遠慮させてもらって考古学美術館に行った。こういう時子供たちを任せられるのは楽だ。と言っても彼らも大きくなった。「動く荷物」状態からつい3年前までは「波にさらわれないか」と一緒に海に入らなければ行かなかったものだ。今は「ママ大丈夫?」とこちらの心配をしてくれる。
しかしながら海辺に二人きりで置いていくわけにもいかないし、パパに来てもらって助かった!と思うが、実は彼は海で泳いだことがあまりないと言う。今まで「海は汚い」とか言ってセイリングボートでロンドンまでは行くのに海では泳がない。そのくせ西欧人の常でどんなに「太陽は危ない」と言ったところで日照時間の少ないベルギー人にとって、陽がさんさんと輝くリビエラ・・というのはあこがれなのだ。「パパ何だかすごく楽しそう」と子供たちにも言われ海で泳いでは日干し状態になっている。まずはよかった!
「アンタリヤ考古学美術館」はこのあたりの文明発祥の模様を石器時代、新石器時代、青銅器時代、ギリシャ、ローマ、と順を追って並べている。ほっと息つける空調の中、そんなに広くもなく人も少ない美術館で大理石の像の間に涼を取る。ゼウス、アフロデイーテ、アポロン、彼はこの近くで誕生した・・と書かれてある。アポロン信仰はオリエントにすでにあった・・と聞いたことがある。大理石を扱う時、汗が落ちるとすが入り大理石の色が変わる(大理石の涙)というらしい。
石棺、ありとあらゆる装飾がほどこされている。犬のものもあった!
時代が近づくにつれイスラムの影響、布地の面白さ、刺繍、そして中央アジアスキタイにも通じるかのような手編み模様の複雑さ。カーペット。ペルシャ文化・・・
そして、ヴァイオリンの原型のような弦楽器、正倉院御物展で見たことのある(琵琶)全くそっくりな楽器があった。
「そうか、やっぱり東西つながっているんだなあ~」
だんだん夢がふくらんでくる。
「カッパドキア」はどんなところだろうか・・・
夕方海から上がった家族と一緒に街に唯一の路面電車に乗り旧市街に出かけた。あけっぱなしの窓から入り込む風がなんとも気持ちよい。
だんだん坂を下がり港まで行く。お土産物屋さんの並ぶそこにはトルコ人の笑顔、暖かさ、しつこいような客引きも含めて皆とにかく親切だ。
「味」も忘れてはいけない。「どうせ同じような地中海料理だろう」とタカをくくっていた私は今回驚きの連続だった。
とにかく新鮮な野菜、果物がいっぱい!地中海沿岸料理の典型でもある前菜に「なす、トマト、豆類」それらを煮て冷ます。そしてクリームチーズにちょっと感じられる「はっか」のにおい。必ずある唐辛子。発汗作用があるのだろう。おいしい!
さていよいよ明日は5時起きでカッパドキア行きだ。わくわくする。
海水浴に旧市街闊歩と体を思う存分使った子供たちもパパもすぐ寝息を立てた。