どこかで・・・
震災から4カ月。猛暑に見舞われた日本国、今だにがれきの山の東北海岸地帯、放射能の見えない恐怖とそれをはっきり知らされない国民の怒り・・・
それとは打って変わった、夏のバカンスの様相のヨーロッパ。時に30度を超える強い日差しも日陰に入ればす〜っと汗が引く。窓を開け放っていても蚊もはいってこない。なんとも良い風がふく・・・
日は曇りだ。ひんやりとしている。
あすから始まるお城でのマスタークラスのために日本からやってきた生徒たちが(寒いです)とこぼしている。37度から20度の差は大きいだろう。
なぜかベルギーでもここ数年この温度差の大きさが激しくなってきたように思う。
今日は20度、昨日は30度・・・体調を崩す人、のどを痛める人も多い。
あすはバッハのソロのリサイタルがある。マスタークラスの初日にまず私の演奏会で始める。
お城の中庭、雨が降ったら近くの教会で・・というのだが、湿気も音響も想像がつかない。その分こちらの感性を柔らかにしておかなくてはいけない。
h-mollのパルティータを練習していた。なんとも曇り空とこの(しんみり)とした感じがよくあう。
地震、津波、放射能・・・で私が一番恐れたのは日本という国がなくなってしまうのではないか・・と思うことだった。ただでさえキビシイ状況の中の天災、そしてあらわになった人の手によって造られた基盤、物のもろさ。そしてそれに飛び乗り、今や原子力なしでは生きてゆけない私たち・・・
しかしこの問題が全世界共通の恐怖とは言えど、みんなには日本と言う(祖国)を失うかもしれない・・・という何ともぽっかり穴のあいたような、うつろ感はないだろう。私にとっても、今まで恵まれた環境の中で演奏会をいつも出来て、何かあったら、いやなくとも(いつかは帰れる)と思っていたところがなくなるかもしれない、と言う事。
それは(恐怖)以外のなにものでもなかった。
子供たちに教える日本語がユダヤ人の(さまよえる民)が各地にシナゴーグを作り、ヘブライ語の教育をして行くように日本語を存続語、として教えて行かなければいけないか・・とも思った。
それでも彼らは「ユダヤ人」という誇りと伝統を持って生きている。
h-moll、パルティータの(しんみり)としたサラバンド、怒りのブーレ、
明日はそのほかに2番のソロソナタ、これは震災の次の日3月12日に上野文化会館で弾く予定だったもので地震の日もよく練習した。
そしてシャコンヌ付きのパルティータ2番。
バッハはこれらをケーテンの小さな教会で一人で書いたという。そのころのフランス様式がベルリンに飛び火して、そのころ姉妹都市であったケーテンにも飛び火した。だから楽曲の題名が通して言えば1番から6番までの間にだんだんフランス風になり最後は「gavotte en Rondeau」となる。彼の想像、空想、そして何よりち密さが300年経った今も、我々の(心の原点)となっていることなど露知らずに、楽しんで冒険していた毎日の(試み)だったのだ。
これからの生き方、ここに原点を置けるかもしれない・・・
宗教、国境、人種、世代を超えた(感情)と(叡智)に感謝する。