言葉

きのう娘をゲントまで送って行った。3週間の(言語交換)の留学?とまでは行かなくてもオランダ語の学校を体験する。学校から7人名乗り出て初めての試みとして行われる双方の学校行事だ。3週間で言葉がどうなるものではない事は周知のことながら、彼女もやる気だし、何かのきっかけになれば・・と思い送りだした。受け入れてくれた家族はとても良い人たちでそこもフラマン人とスペイン人のカップルという事なる文化の家庭だ。娘が3人いる。
みんなでゲントの街を歩いた。大きなカテドラル、ヴァン・アイクの絵がある。たくさんある教会、そして[学生の街]だとホストのお父さんは言う。ほとんど車は通らない街の中心は何やら中世にタイムスリップしたような錯覚さえ覚える。美しい・・・
ここは昔私がエリザベートで優勝した後演奏にきた。ゲントのオペラハウスの楽屋から眺めた屋根屋根、その中の営みを思って始めてエッセーを書いてフランス語の新聞にのった事もある。そんなことも語りながら歩いた。(今度見せてあげるね)フランス語ならよんでくれるだろう・・

そして夕食をごちそうになり、娘を置いて帰ってきた。

なんだかぽっかり穴が開いたようでなんと味気ない事。
何より本当にきちんとできるだろうか・・・学校の授業を全くわからない中で過ごす羽目になるのでは?
娘3人。文化の違う家庭だ。うまくいやっていくだろうか・・というより緊張して風邪引いたらかわいそう。いくらなんでもこの(冬)の時期に交換留学でもあるまいに!
そして何より彼女が3週間たって帰って来た時母親の私は不在・・・仕事をキャンセルするわけにもいかず何とも歯がゆい事態なのだ。
彼女が小学校5年生の時10日間のスキークラスに出した。その時も帰って来た時私がいなかった(苦笑)

あの時はうまくいったけれど・・・
あれもしてやればよかった。もっときちんとオランダ語やらせれば良かった・・・等々後悔先に発たず、とはこのことだ。

「言葉」というのはほんとうに一筋縄ではいかないものだ。
日本語という一つの言語で育ち、今もまた日本語の本しか読まない私は30年以上も外国と日本を行き来しているのだがそれでもここ半年の間に言葉の体験としていろいろな冷水を浴びた。

9月には久々のアメリカ、インデイアナポリスコンクールに3週間以上いた。空港について何やら(緩んだ)感じののんびりムードの時は良かった。英語ならフランス語よりオランダ語よりわかるはず!

しかし実際24時間会話もテレビも読み書きもすべて英語・になるとこういう事態はけっこうきついことが判明してきたのだ。レセプションにかける電話一つままならないと言う事は一体なんだ??外国人が話す英語に慣れている私はめんくらった。聞きとりがむずかしい。
途中で羽目を外して飲みすぎた?かもしれないのもこのような状況が背後にあったかもしれない・・・

同じ理由でそのあとまもなくモナコに滞在した時も今度は24時間フランス語の世界に楽しんでいた。レッスンは英語が中心だったがランチ、デイナーと70%わかるフランス語で相槌を打っているのも神経をだいぶ使ったのだろう。頭と関係のある、鎮心という手のひらの真ん中を中心に湿疹ができ始めた。痛くもかゆくもないのだがはじめてのことでこれもまたびっくり!

考えてみれば私がいるベルギーという国は本当にいろいろな言葉が一日のうちに聞こえてくるのだと言う事が今更ながらに解った。また私がここで生きていけている条件もそこにあると言う事かもしれない。そのことは以前書いた様にここでは自分のアイデンテテイーを保って生活できる・・・という事につながるのだ。外国から多くの音楽家たちが好んですみついているのもそこに理由のひとつがある。

日本という一言語の国から出てきて、ず~と「そんな何か国語という言葉の入り口でもたもたしているよりも物事を一つの言葉で追及していくことの方がどんなに速く大切で尊いか」と思っていた。
今でもそれに代わりはないが、見えてきたことはその(尊さ)が一言語だけではない場合もあると言う事だ。それはその人が生きて来た過程の経験、体験、それらすべてが言語、言葉と結びついて人生を造っていくから。[暑い!!]というのはそれを体験して初めて心に残る。[暑かったね<日本の夏・・]というからその言葉が生きる。
kaud(寒い)とcald(温かい)は発音すると「カウド」と「カルド)とほとんど変わらない。しかし「寒い」kaudのオランダ語と[温かい]caldのイタリア語ではそれを使った経験・・・によって、その人が感じる思いがある。

ブラームスの間奏曲をひも解いている。作品118の6番目の曲、インテルメッツオは昔学生時代に弾いた。だから今でも指に残っている。今朝息子が「ねえ、ママ今日荷物たくさんあるから運転してって~」と甘えて来た。お姉ちゃんがいれば(何言ってんの。自分で歩いて行きなさい!)と叱咤するのを思い出しながら甘い母親は道のり5分送って行った。帰りにラジオをつけると流れている曲がちょうど118の6!これはラッキーと思って聞いていると音が一つちがう。(あれ?私の見間違え?)と思い帰ってさっそく譜面を開いてみると!なんと35年ぐらい前だろう・・に練習したその楽譜にはその音に丸が付いている・・・その当時から「間違って」演奏していたということだ!

正しい譜読みをすることは大切です。
間違った音、を直すことはその3倍の努力がいります。
なぜなら今の私のように35年経っても(しみついている)まちがいを正さなければいけないのですから。

言葉を習うならばなるべくきちんと習おう。
そして(経験)を持って頭だけではなく、心も体も使って学ぼう。
そう考えて来たらゲントに3週間だけ送り込んでどれだけ大変であまり意味なく、しかも帰って来た時のこちらでの遅れた分の勉強のしなおし、母親不在・・等々のマイナス面ばかりではなく彼女のやっている体験は(意味のある事)かもしれない!と思えてきた。

2011年1月ブリュッセルにて
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