日曜の朝
(インデイアナポリスヴァイオリンコンクール審査を終わって)

芝生に映る日の光がやさしい。秋の一日、いつも灰色のブリュッセルの空もインデイアンサマーを思わせる暖かい光で包まれた。
2ヶ月留守にしてやっと戻ってきた我が家。数日あわただしくいろいろこなした後、やっと週末が訪れた。ここの静けさにも慣れ、子供たちの放課後アクティビティーも把握し始め、今日は息子のサッカーの試合と水球の試合がある。

日本の夏休みと演奏旅行後に審査員として行ったアメリカは何とも言えぬ懐かしさに始まり衝撃と過酷な日々に追われ、そして普通になって終わった。
「過去・・」といっても時間の意識のあまりない私にとっては昨日のことだのだが、80年代良く行き来していた友達との再会、新しい友、審査員たちとの充実した日々、毎日世界一のレベルの若者たちのヴァイオリンを聞いて過ごした日々があった。はしゃぎすぎてひっくり返った!ベッドでの日々も今となっては笑い話だが・・その時はかなりまいった。なかなか自分の体の状況を把握できない状態になることは珍しいのだが、異国で知り合いはいるけれどみな、そんなに普段から親しくしている人たちではない。ことさら病気の時の対応・・・には違いがある。手に入れたい物もなかなか思うようにならない。それよりなにより「言葉!!」お互いが外国語同士で英語を話しているのとネイテイブに浸り付けになるのとではえらい違いがあるという事がはっきりわかった。今まで要するにフランス語圏に住んでいたわけで、いくら夫婦の会話が英語でも学校で生徒に教えるのが英語でもアメリカという純粋英語圏で、24時間英語しか聞こえてこない状況に長い事身を置いた事も久しくなかったわけだ。
最初は興奮しているからなんでも強気に出ているが日がたつにつれて、言いたいことは言えない、何より聞きとれない・・ことがプレッシャーになってくる。(よく若いころこんなんで、演奏活動などやっていたものだ)と我ながら恐れ入った・・とは自分の事でおかしい話なのだが、実際うんうん唸っていたベッドの上で考えたことはそういう事だった。
なんというか頭をフル回転させないといけない。普段日本語とそこそこ生活できるフランス語とそこそこ通用する英語に加え、まるで新しい言語を開発しているような集中力を強いられた。おかげで帰ってきてテレビをつけ、オランダ語を聞いたら昔よりよくわかったのだから、これはゲルマン系言語という共通点がある事も然る事ながら、どうも「もうひとつ」頭のねじを締める?ことから来る結果なのではないかと思う。案の定、そのねじも緩み始めた今、テレビのオランダ語はまた遠くのものとなった(笑)

その分きっと体にかかった負担が大きかったのだろう。今の今までインデイアンサマーの緑の色がきれいだなあ〜〜といった心の余裕はなかったのだ。それに帰って来た日雨の降るしっとりとしたベルギーの空気をこんなに感謝して迎えたこともなかったかもしれない。

よく昔世界中旅行していたころ、多い時では1年で世界6周したものだ。その時感じていたことが、「ブリュッセルで仕込んで(芽を出して)日本で練習して、アメリカで弾くと完璧になる」という事。今回久しぶりにそれを思い出した。また私にとっては要約すると今でもそうだ。ここは芽を出すところ、何かを感じるところ。日本でたくさん演奏会して経験を積む。そしてアメリカは完璧さの勝負・・確かに今回のコンクールで1位、2位を取った両名とも韓国の女の子たちの完璧度、完成度は群を抜いていたもので、またそれが評価されたわけだ。

今回のコンクールで面白かったのはいろいろな「波」があったこと。
【1】20歳前後の男の子たちの活躍ぶり、主にアメリカ人が多かったが、4位の中国人、北京から直接やってきたハオミン・シエのフォーレのソナタなどは忘れられぬものだった。
【2】23−25歳の女の子たち、数々のコンクールの場数も踏み経験も豊富、完成度は極めて高い。 【3】26−29歳の波、もうベテランに属す彼らもまた経験豊富・だが逆に少し安全圏をねらった演奏、または崩れつつある危険もはらんでいた。

結果はご存じのとおり、1,2位が【2】の波の女の子たち。二人とも韓国人だ。その基礎となる指導を、また今までの導き方をしてきたナムユン・キムとう先生は私もよく知っているが彼女の喜びは測り知れないものがあったと思う。ここ15年ぐらいを通じて彼女を見ていてもコンクールにおける力の足りなさ、失望は幾度となく繰り返されたことだからだ。また彼女たちの態度も非常に謙虚だった。
3,4位が【1】の波のアメリカ人と中国人。ここがこれから一番面白いところだがはてさて彼らがどう成長していくのか・・・はこれからの彼らのアンテナと指導力にもよるところが大きいだろう。この先天狗になってしまったらもうそれまでだ!
そして5,6位になったのが【3】の波。彼らは結果に不満があり、私もコンクールが終わってのレセピションで話そうとした。「失望した?」と聞いたところ「それは適切な言葉ではない。疲れた・・・それに悲しい・・」まさに本音である。「でも私たちから見たら君たちまだベイビーだよ。それだけの才能があって何を心配してるの!」と励ましたつもりだが「もうベイビーではいられない年だから」と言われると、実際この業界のキビシサをいやというほどわかっている我々はなんとも言葉が続かない。コンクールというのはどっちが上か・・を決める、いや決めなくてはいけないところなのだから仕方ないにしても誰が落ちる,下位になる・・というのは一番ハードな部分でもある。

音楽はオリンピックと違って「競争するものではない」事は重々承知の上で受ける側も審査する側も臨む。なぜならば、それが世界中にその技を問う非常に重要な機会だからだ。
審査する側から見ればその人の個性もともかく今回のように、なんというか時代の波を感じることができる興味深い機会だ。もちろん朝から晩まで同じ曲を聞いているうちに「つぼ」も分かってくるからコンクール後のレッスンは、より口うるさくなる。言いたいことが山ほど出てくる。

コンクールというのは10代の終わりから20代の終わりまでの事だ。しかし実は「そのあと」というのが本当は大事なのだ。審査員の一人、ボリス・クシュニールが言った言葉で「あなたは名教師と言われさまざまの受賞者を出していますがどこが秘決ですか?」との問いに「コンクールを準備するためには200%の準備が必要です。でも何より大事なことはコンクールを終わった時、その生徒が幸せかどうか・・」を導くことなのです。と言っておられた。なかなかできないことだが、これからはそういう事も頭に入れて教えようと思う。

何につけ、結果を早く出そうというのが、昨今の実情である。
しかしながら実は「どれだけ長く続けられるか」に基準を置いている人は少ない。「何かタイトルがないと続けていくこともままならないから」と言う声も聞く。果たしてそうであろうか?実際なにが【1】の波の若い子たちの良さだったかというと、「好奇心、未完成の中の可能性」なのだ。
逆に完成してしまった物を保ち続けるのは難しい。というより不可能だろう。熟した果物が朽ちてはてるのと同じ事。人間も音楽もいつも「リニューアル」(未完成)の面白さがあるからやっていられる。
また「なぜ【2】の波の子たちが勝ったか」というとその完成度の基準が高かった事に他ならない。彼女たちが一番「自分たちは弾けていない、まだまだだ。」と言う意識を強く持っていた。「音楽」と言う道に奉仕する上で一番大切なことが、「どこを見ているか?どれほど遠くを見られる位置に自分を置いているか」と言う事だからだ。これは音楽のみならず、すべての分野に共通する「追求」の精神だろう。
数学者の藤原正彦さんは数学者になる素質として「あきらめない事」とともに「楽観的でいられること」を挙げている。まさに満タンタンクの頭でも心でも体でもダメだと言う事に他ならない。
そんな、あんないろいろな事を感じたインデイアナポリスヴァイオリンコンクールだった。

2010年10月3日ブリュッセルにて
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