雪の日・・・ベートーベン
今年最後のコンセルヴァトリーの授業は「ベートーベンのヴァイオリンソナタ」についてだった。
3年間エルバシャ氏と共に歩んできたこのサイクルを生徒たちと分かち合おう・・・と学校側と共同の作業。主に私のクラスの生徒たちとピアニスト・・・だったが。
お昼近くから雪になった。
雪の日は体が変わる・・という。久しぶりにみぞおちから「邪気」を吐いて活元運動を行う。今日は別に私が演奏するわけでもない。生徒たちの弾き方も、マスタークラスといういわば共同の場でのレッスンで違ってくる・・・個人レッスンとは異なる公の場は、あまり自分の好むところではない。生徒にというよりは聴衆を納得させる・・みたいな要素が必要になるからだ。
しかし逆に生徒の思いがけぬ面、より客観的な面が見てとれるかもしれない。
私の部屋に行くと先に来て練習をしていたアブデル・ラハマン・エルバシャ氏がバッハのフーガを演奏中、目でだけ合図しても止められるモノでもない。そばに付き添っていた友達に今日の要領を渡し、そくさくとホールに向かう。
ここブリュッセルの王立音楽院で教えていて良いことのひとつは、大きなコンサートホールが空いていれば使えると言うことだ。小さい部屋でのレッスンは必須ながら、演奏家たるもの実際の価値は「いかにホールでその真価を出せるか」につきる。小さな音でも通らなければ話にならない。そのためのテクニッックをイヤになるほど教えている。が、実祭音にしてみてホールで聞いてみて・・・これは生徒のみならず私にも興味ある課程なのだ。
先週候補者の生徒達を聞いた。オーデションはもちろん演奏を基準にして誰が今回のマスタークラスで弾けるか・・を決めたのだが、1、3、5、7、9、と奇数の番号のソナタが残った。偶然にもすべて奇数のいわば性格のはっきりしたものを皆選んでいる。
個人的には偶数系の心のひだをあまり力を込めずに描き出した2番、6番10番・・・などが好きだ。だがこれも歴史的にできあがった曲を並べてみたらこういう風になった・・という事。またこれら性格のはっきりした奇数系の曲があるからこそ、偶数系の合間が生きる所以でもある。何事にも波がある。
みなそれぞれに弾いた。アブッドと私は雪がしんしんと降り積もることも知らず、それにしてはしんしんと寒くなるホールでコートを着ながら教えた。2人で教えるということは、一人は「ピアノ」につき一人は「ヴァイオリン」につくことになる。なんとなく必然的にそうなった。生徒の背中を見ながら教えたこともなかった。そばでついていると彼らの動きがわかる。特に聴衆を相手にしているので彼らは超真剣だ。それがまた良い。人間火事場になって始めて本当の姿が見えるものだ!
アブッドと私は3年間に渡ってベートーベンのヴァイオリンソナタに取り組んだ。「暗譜で弾く」事の是非はともかく、そこまでやるのには一見簡単そうに見える譜面のすべて、相手方のパートを覚える事はもちろん、強弱、ニュアンス、スラー、題名・・すべてに譜面を見て演奏するとき以上の注意を払って仕込んだ。そこまでやらないと、とてもではないけれど本番で弾けないからだ!
どういう道のりだったかといわれれば、今まで以上に「譜面を見た」事につきる。練習の際、インスピレーションを受ける際、「とにかく譜面を見る」事で本当にたくさんのことを学んだ。毎回発見があった。もしかしたら「あれ〜なんだっけかなあ!!!」という恐怖にも満ちた緊迫からきた「楽譜を見る」事のたまものだったかもしれない。繰り返し繰り返し、1ページずつ見ていった。
その「楽譜を見て頭の中で演奏すること」の大切さを十分識った上でなおかつ「指が変わらなければ話にならないじゃん!」というきわめて現実的な問題にも直面した。頭でわかってるつもり・・でも実際音に出せなければ全くお笑いだ!
そんなこんなの我々の経験・・・と生徒たちの舞台上での演奏、態度・・
それぞれの想いを胸にして友が去っていく。年が去っていく。今年家族と別れて新しい人生を歩き出したその人の心中とひとりの車中を想う。夜中までかかって来年のコンクールのテープを作っている生徒を想う。手がかじかんでいなければよいけれど・・・
生徒のレポートにつきあってベートーベンのハイリゲンシュタットの遺書を読んだ。なんと独り身の「閉じこもり」は今、現代の人々の抱えている問題に似ている事だろうか!「耳が聞こえない」という音楽家として決定的な欠陥・・・しかしながら、ほとんど一人で生活をしていたという1802年に書かれたクロイツエルソナタの力強さはどうだ。まるで、聞こえない部分、そのすべてのエネルギーが内面の音楽的昇華に費やされたかのようだ!!
裡の力・・・それを強めるための試練・・と言っては言い過ぎだろうか・・
「おなかが痛いなあ」といいながら書いた最後のカルテット。作品130の終楽章。
来年は同じメンバーで今度は作品132に挑む。「病気が治って感謝します」という20分にも渡る3楽章がある。
ベートーベンという「生ききった」巨人の姿に深謝しつつ、この年を終える。