語学

言葉の話をしていたら思い出したことがある。
昔江藤先生は、関西弁の人をすぐに「標準語」で話すように指導したという。
言葉の「くせ」は演奏にも表れるからだ。

アメリカのどこに行ってもみな英語・・・に比べてヨーロッパはすぐに言葉が変わる。特にここベルギーでは40キロで違う国か?のように全く異質な言葉が存在する。フランス語とオランダ語だ。このオランダ語とフラマン語は同一のものだがなぜかベルギーではフランダース地方のということで「フラマン語」という。いつだかオステンド近くの北海で「すみません、写真を撮ってください」と話しかけたことがある。こちらではだれが何の言葉を話すかまず聞いてからだ。「フランス語ですか?オランダ語ですか?」と問うとその夫人は「いいえ、フラマン語を話します」と答えたものだ。
筆記上全く同じ言葉なのだが、私たちが聞くとずいぶん違った発音に聞こえる。オランダのほうが喉の奥の音が混じる。またフレミッシュ(フラマン人の事)のテレビではフラマン語でやっているのに下によく字幕がでる。「なぜ?」と聞いたところ、「他の県では発音があまりに違うので聞き取れないことがあるからです」とのことだ。
日本でも例えば沖縄と大阪と東北とか言葉そのものが違う場合テレビに字幕は出るがそれも例外的だ。そのかわり、英語もフランス語もフランダースでは字幕付きで原語上映するので、オランダ人もまたフレミッシュもフランス語圏の人よりはるかに英語もフランス語もうまい。それに彼らはこのごろは経済的にも「労働階級」といわれていた以前に比べ豊かになってきた。小学校からすでに「オランダ語」(フラマン語、しかし学術的にはオランダ語)の学校に入れるフランス語家庭も珍しくない。ここではバイリンガルであることが決定的な力を持つ。就職においてまさにそうだからだ。

言葉の「くせ」といえばフランス人から見てベルギーのフランス語は「田舎者」という事になる。語尾のニュアンスがここのほうが甘い。遅い・・またこれがいやでベルギーでも「フランスのリセ」に入れる親もいる。

私の場合ヴァイオリンを弾く時考える言葉は日本語が一番早いし、強いインパクトがある。なんといっても22年間日本から出たことなかったのだから・・・指を回す・・ことは頭を回すことと同じだから日本語のほうが早く指も回る。英語で説明されて時間がかかる。数を数えるのと一緒だ。

寒い、暖かい・・愛しい、激しい・・・漢字の感覚は目から入る。これも江藤先生語録だが、「目から入ったものはすーっと心におります。」もし耳で聞こえてる音と楽譜に書かれている音が違った場合、反射的に人は目で見たほうを選ぶのだ。私の楽譜にも圧倒的に「漢字」が多い。一目でわかる。

オランダ語の先生は「新しい言葉を学ぶというのは個人的成長につながる・・」と一生懸命私を説得しようとする。「そういう言い方もあるなあ〜」と思いつつ、kaud [冷たい]、warm [あたたかい]、ik hau van ....[誰だれを好き]、sterk [強い]とやってみるが、gemaekelijk[簡単]がどう見てもムズカシイとしか見えないのは、確かに「この年になって・・・」の感がぬぐえない。

かといって「だから早期教育が!!」とはまた話がちがう。

ベルギーの2言語学習の中、ある実験をした。幼稚園の子供たちが対象だ。強く感じる言葉は赤、どうでもいいものは黄色・・・のように色分けして100人の子供にいろいろな言葉を当てはめた。フランス語、オランダ語も混ぜて・・・結果、違う環境の中でも彼らは「ママ」とか「おいしい」とか「怖い」とか「サッカーボール」とか身近で表情のある言葉は赤くて、「勉強」「算数」「都市」とかまだあまり関係ないことは黄色が多かった。

環境によって言葉が身につく・・・必然によって言葉が身につく。もともと「言葉」とはそこから発生したことなのだから! 七ヵ国語話せたという、かつての名ヴァイオリニスト「ヘンリック・シェリング」や「イダ・ヘンデル、ユーデイー・メニューヒン」たちを見習って、表情豊かに言葉が増えることが、理想だ。そうすれば確かに「個人的成長」につながるかもしれない。

その際、母国語が大雑把になってしまわぬよう・・・気をつけながらこれを書いているところだ。

2009年8月末 ブリュッセルにて
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