身につく

春になってきた。木々はふくらみ、枝は緑色がかってくる。風は大あらしのように吹き抜けて新しい季節の到来を告げる。

娘のトライアスロンは、このころから活動が盛んになる。今も60キロ自転車・・・という土曜日コースに出かけたところだ。昨日の夜から準備、朝はスパゲテイーカルボナードなどとにかくカロリーが高く燃えるものを食べる。今年のお正月箱根駅伝に初参加したチームのコーチは「油っけ、カロリーの高いものだけではなく」と言っていたが、ここではトライアスロンの会場に行くとスパゲッテイーをタッパーに入れて直前まで食べている選手をよく見かける。どっちが良いのか本当は「研究」しなくてはいけないだろうが、そこまで「こだわり」がない。(苦笑)

試合前日の金曜日「水泳」はやっていない。演奏会と違って「前の日によく練習」ではなく「前の日は休む」のが肝心だそうだ。

かすみたなびくこの季節・・・
ふくらんでくる木々の勢い、花のつぼみのはちきれんばかりのエネルギーは、見ているだけでも圧倒されそうだ。
この時期その「勢い」のせいか、また本当はこの時期「ぼおっとして」過ごしたいにもかかわらず、勉強、仕事と追いかけられるためか、花粉症に悩まされる人が多い。娘もしかり。目がかゆい、鼻がでっぱなし、喉の奥がいらいらいする。

「ああ・・なんとかして!」
薬を使わず、と育ててきたわりにはその代りになることもあまり知らなくて、いつもおろおろしてる私。
すると、今朝は彼女が「熱い蒸しタオルちょうだい」ときた!
「そうだ!そういう手があったねえ」と小さく畳んだタオルをしぼってあげると、それを目頭にあてて「ああ・・気持ちいい」

この方法はよく昔使っていた。目が疲れた時、腕が疲れた時、神経がいらいらする時、「おしぼり」は日本の素晴らしい知恵ではないか!
まったく頭で考えたものと身についたものでは「いざ」というときの出方が違うのだ。普段は忘れていてかまわない。いざという時だけ引出しからでてくればよいのだから。

私も昔練習した曲というのは年月がたっていても指が覚えている。よく生徒の練習中、ここの指使いは?と聞かれて、言葉で言おうとしてもなかなか出てこないことがある。そんな時「ちょっとかして」と楽器を借りて弾いてみると、すらすら甦えってくる。
車の中でラジオから流れる音楽・・・曲の題名は忘れてしまっても「弾いたことがあるかどうか」は5秒聞けばわかる。なんというか体が「知ってるよ。」と言っているようだ。

まったく人間うまくできているもので、いくら「詰め込もう」としても、その人の器に入らないものは身につかない。が、しかし言い換えれば、それがまた「古い皮」のように存在し、いざ新しく演奏する段になると邪魔になることも事実だ。

自然の木々のように、新緑・・・青葉、で枯れて散って・・また出てくる・・みたいな「プロセス」が人間にも必要なのだとつくづく思う。

とこれも「春」の発想なのだろう。
そしてまた「モーツアルト」を弾くのだが、そのおだやかな柔らかな印象とは打ってかわって「仕込み」の大変さを感じている。時を止めて考えつくして・・・いやあ新鮮に難しい!

いまさらやっている「オランダ語」も「将来使わないだろうなあ」と言って、ひどく先生を落胆させた。罰があたって、昨日は自分ではちょっと「問題集」が解けたからといって「新聞」を読まされたら見事にわからず!単語が一つずつわかっても意味が通じない?と、これが今の私のレベルだと、頭を垂れた・・・

良い日もあれば悪い日もある。日々是好日

2009年3月21日 ブリュッセルにて
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