今朝は「これからコンクールの一次審査に行く」という夢を見た。
審査員ではない。自分が受けに行く。会場がわからず、遅れそうになった。

良く見る夢だ。そのあと、「ああ、まだ着替えてないのにもう、自分が弾く前の曲が始じまっちゃった!」みたいなパニックになる。「さて出番」のいつも直前で目が覚めるので、実際どういう演奏をしたかは、いつもわからず。

今朝の夢は「もうエリザベートで一位を取っているのにまた受ける」のだ。
「ここでやめれば恥をかかなくても良い」
「バッハのソロソナタ、何番弾くんだっけ?どれでも弾けるけど、どれもあやふや・・
・」
「パガニーニのキャプリス、みんなうまそうだ・・・」
10歳代から今までの人、すべての人が「ライバル」になる。
「控え室の階段は急で息がきれそう・・・」

夢では結構実年齢で感じていて、年も取っている。
「これ、お手紙がきてます」
とレジスターに行くと束を渡されたりする。
子どもたちのトライアスロンやら、マラソンやらの「登録」弟子たちの、「コンクールの順番を決めるくじひき」いろいろまぜこぜになっているらしい。

そこで感じた。

1980年。エリザベート王妃国際音楽コンクールに出場したときの気持ち。
「何も分からなかった」から猛烈に練習した。江藤先生の元で、5年間やってきたことが、やっと「自分の言葉で通訳して解釈、練習する」段階になっていた。

「何のあて」もなかった。
その先どこに行くのか、どう、生きてゆくのか・・・桐朋大学を卒業した年の5月。
まったく「先のことは分からず」の状態だった。

たしか、文化庁の派遣で、ヨーロッパで勉強できることにはなっていた。しかし、誰のもとで?はわからずまだ、桐朋の「研究科」に在籍。大学に入る時も「空気を吸っているように、知識を取り入れられるところは大学しかないです」という言葉をに従って進学した。
親となった今その「費用」だけでもばかにならず。その苦労も知ってか知らずか、「のほほん」とよくまあ・・・

大学に入って2年目、私が20歳の時、父がガンで亡くなり、その後生計を立てるために、母は「下宿屋」を始めた。
「エリザベート」を受ける大学4年の頃は4人の音楽学生さんたちがうちに住んでいて、食べるのも一緒、お風呂場も一緒・・・という生活だった。当時は当たり前だった。

「ガイコク」にでたことは、その2年前、カールフレッシュに行った時のみ。父の死 期と一致する。
その時の「失敗」だけは繰り返したくない。
自分が異国で言葉は話せないと、どういう心境になるのか・・・それがどう、音に表れるのか・・・は身をもって体験していた。音楽が「禅」のようにつまらなくなる。
東洋人がよくかかる「落とし穴」でもある。禅を否定するわけではないがこの頃は、カールフレッシュの失敗から、努めて「禅的な思想」「東洋哲学的な物」は避けていた。

「みんなうまい人ばかりが来る。自分のできることを精いっぱいやること・・が、個性につながる。いや、それしか、で・き・な・い・」
「審査員も同じ曲を40回も50回も聞けばどういうものが印象に残るのか・・・は、その人のすべてが出せているか否かであり、完璧さというのも2分聞くのと15分聞いた時のインパクトでは違うはずだ。」

それらすべてを想像する。そして音に仕込む。感情などというあてにならぬものは、舞台上通用しない。「感情」というならば、「芝居」を行うように、旋律一つ一つに言葉をあてはめる。舞台の上では、その気になって演技する。

モーツアルトの「暗さ」をふと出すために、オペラの歌詞をあてはめた。
ショーソンのポエムの劇的さが、平坦にならぬよう「シルビアー・シャシュ」の歌い方を真似た。
カルメンの「生死感」を出すために、歌詞を訳して、ハバネラのリズムを出すために、バス(低音)にのっとって弾いた。

そして江藤先生の前に持って行った。
これが「通訳する」ということだ。
「いいですよ」
あるいは
「もう少し弓や早く使ってビブラートも細かく早く」
とか、直接テクニック的なことを教わる。
また通訳する。

よく「ここはこうしよう」
とか一フレーズだけを変えるけれどそれは、全体が見えていないとできない。逆に言えば、一フレーズが全体を変える。

このようなことを行うことが、どれだけの「エネルギーの貯蓄」になっただろうか・・・

「息抜き」もあった。よく練習が終わって友達に会いに行く時電車の中で、おおあくびしながらも、「充実してるなあ…」と思っていた。

快感だった。

あとは貯めたエネルギーを一気にはき出す・・・いや弾き出す。

「広いホールで音をよく聞いてね」・・と江藤先生。

いやはや、それを思い出すと、今のなんと甘い、甘い「2足、ならぬ3足のわらじ生活」よ・・・と夢は「警戒心」を起こさせてくれた。実際、夢の中の私は虚勢を張って「エリザベートの1位」の顔をしているが、内心びくびくで、「自分のできなさ加減」を知っている。

あるいはコンクール後、いろいろ知ってしまった恐ろしさ?大変さ。

今までもコンクール時の状況をこのように、「言葉にする」ことは多かったのだが、今朝の「夢」は、現実感を持って、あの「感覚」をよみがえらせてくれた。

「さて何も言わずに練習に取りかかる!」・・・・
前にこのようにもう「おしゃべり」をしていては、らちがあかない・・・というものだ!

2008年10月 ブリュッセルにて
ページトップへ戻る ▲