白髪
娘道子が25歳になった。四半世紀だ!
昨年から独立して彼氏と住んでいる。
親の葛藤というか・・色々あったけど今はうまくやっている。
ハッセルト日本庭園の個展もうまく行き、チョコレート屋、ブランデールでの職も定着し、グラフィストとしてまた油絵、アーテイスト、としてこれから多くの夢をかなえて行って欲しいと思う。
久々に訪れた彼女たちのアパートで以前は家にあったあらゆるオブジェ、かきかけのデッサン等を見ると懐かしくなる。一生懸命私達をもてなしてくれる二人にエールを送りたい。
今日はサプライズのピクニックをする、と彼氏から聞いたので、「ではその前に」と朝食をもって顔を見に行き、またピクニック用にと朝から5合ご飯を炊いておにぎりを作った。昔毎日散歩に出かけた時おにぎりと卵焼きとできれば鳥のから揚げ?をもって出かけたものだ。携帯もない腹時計、一人は乳母車、道子はあるかされてソルベー公園に着くとぎゃ~っと叫びまわった。二人目、左門が生まれて以来の葛藤を思いっきり自然に叫んでいた。
25年、私もよく生きてきたなあ~~もういなくなっても大丈夫。
白髪染めも3年前仙台国際音楽コンクールの審査委員長という大役を仰せつかった時、
染めようか、どうしようか迷った挙句染めるのやめた!
それ以来年を追うごとに白くなる頭を見て「やはり少し染めた方がいいよ」「商品ですからきれいじゃないと困ります」
色々な意見を有難く拝聴、それでも家族の後押しもあって染めていない。
確かに人の反応は変わるのだ。特に中年までの男の人・・・
ヴァイオリンを担いでリュックを背負って立った京王線で「どうぞ」と青年に席を譲られたときは憤慨したものだがそれもいいではないか~
当たり前の、またどうしようもない、「年を重ねる」事をなかなか人は認めない。
どうすれば若さを保てるか?世の中はそれに尽きる。
外見はね~
中身の問題。
「その時々その時々の初心を忘れず」世阿弥の言葉だ。
その時々を持ち続けるために変わる事もあるかもしれない。
学生時代一度は凝っていた東洋哲学、ヨガ等を「音楽をする際禅のように表情がなくなる」事もあって長い間やめていた。特に外国で暮らしていると無償に恋しくなる要素だが半面必要以上にそれが働いてしまい音楽が平たんになる事があるからだ。
今となっては関係ない!
ヴァイオリン演奏と活元運動、座禅、太極拳、すべて一緒にやっている。生徒、友人、家族問わず。
ブラームスの和声とその上に乗る旋律の美しさに涙する。
パガニーニの超絶技巧の在り方、なぜ?そして挑戦する事も面白くて仕方ない。
それが私の「その時々、今、の初心」かな?
そういうわけで今後染めるか染めないかはまた「その時々」で変わる事もあると思うけれどもとりあえず、わずらわしさからは遠ざかり、ますます自分のテンポ、リズム、そして人と会う、合う楽しみを大切にしたいと思っている。
2019年4月21日ブリュッセルにて