夏の雲はもくもく。形が立体的だ。厚さがある。
気温はまだまだ16度しかないのに、様相は夏。
日本の夏のようにせみの声はしない。窓も閉まっている。

建物の反対側の日の当たるほうのテラスでは、さっさとテントがおろされた。
カーテン代わりにもなる。
このところ増えた鳥たちの日陰にもなる。

ここブリュッセルのアパートは立地条件に恵まれていて、朝は、朝焼けから日の出。これは森側のテラスから。

夕方は日の入りを反対側のテラスから見ることが出来る。

1人から瞬く間に増えた4人の家族には少し手狭だが、この「景色」からなかなか離れることができず、ずーっと同じところに住んでいる。

ヴァカンスの季節になった。それぞれ、車に荷物積んで「さあ、出発!!」と出かけてゆく家族の姿がある。生徒の中にも、モルダヴィアまで3日かけて運転していった・・・というヤツもいてその話を聞くのはしごくおもしろい。

うちではそうはいかない。仕事柄「旅行」が多い私たちは「休みぐらい、ゆっくりうちにいたい・・・なにもお金を使ってまた、荷物作って、長蛇の列・・・に巻き込まれることはない」となる。とはいえ、練習がしたい私の横でおとなしくテレビゲームをしている子供の後姿が淋しそうだ。
お姉ちゃんは赤ちゃんのころから「一人遊び」が結構好きで、なんだかんだ言いながらいろいろ物作りをした。今でも変わらず。暇さえあれば、なんだか作っている。息子はいつも「友達」が必要。おまけに彼は友達からの誘いも多い。また予定が決まっていないと安心しない。

まったく違う性格の姉弟だ。

私の練習はいつもスケールから始まって、バッハ・・・これは自分のため。子供たちは、「よく毎日同じもの弾いてて飽きないね」と言う。

空に向かって弾く。
『雲』は『空』と対して、存在する。その表情も、厚みも、色も、流れ方も、すべてバックグラウンドの『空』との対比だ。
丸く穴が開いたような雲の中を弾いてみる・・そこに向かって弾いてみる。

『空白を弾く』
けっこう集中できるものだ。

ものごとはみな、対比で成り立つ。雲と空の対比。
それを見据える私と相対する音楽との対比。

ヴァン・ゴッホは、絵を描くとき、『自然の色からではなく、自分のパレットから出発せよ』というようなことを言っている。要するに、心のあり方によって、同じ景色でも、見え方は違うんだよ・・・ということだと私は思う。

以前住んでいたパリ郊外、セルジーポントワーズは、ゴッホ晩年の地、オーヴェールシュールワーズから遠くない。何度か出かけた。

彼の最晩年の絵、「カラスのいる麦畑」に立ち、同じ景色をみたところで、私には、あの絵にあるような、黒い、青い表情もカラスの不吉感も感じられない。ただ単に「のどかな田舎の風景」にとどまる。

心のパレットから出発すると、絵も音楽もまったく独自の発見、展開を見せる。
もともと旋律のみを弾くことが多いヴァイオリンにおいても、幅が出る。

なるべく『相手方』あるいは、楽譜に書かれている、ほかの声部も聞きながら・・・イヤ同時にそれらすべてを弾くつもりになると、ひとつの旋律に和音、リズム、キャラクターの要素が自ずから加えられ、音楽が完成する。そして自然に聞こえる。

私はこのことを、江藤先生から叩き込まれた。
「ソリストというのは一人で弾くからソロなのではなくて『一人ですべてのことをやる』からソリストなんですよ」
今になって身にしみる言葉だ。

江藤先生のレッスンの後は、必ず音が良くなった。「楽器に覚えさせる」ともおっしゃっていた。「そうすると本番で自分があがっていても、音に啓蒙されるでしょ」

それが出来たら、今度は『音』と『音』の間を弾く。
ここに「いかにたくさん込められるか」が勝負だ。

きっかけはなんでもよい。
空をながめることが多い私はよく『雲』や、『木』
さざめく『葉』、陽のさしてくる様子・・・などに心を動かされる。

オランダの島の室内楽フェステイヴァルに何度か行った。
チャイコフスキーの弦楽6重奏の練習をしている時、ふと外を見ると、ちょうど今弾いている和音と木々のざわめき、葉のゆれ・・・がまったく同じ。
『私の内と外が完全に一致した!』と戦慄を覚えたことがある。

サントリーホールでヴェーグ先生とカメラータザルツブルグとモーツアルトを共演した。リハーサルから出てきたときの幸せ感。今でも良く覚えている。目にするもの、感じるものすべて「モーツアルト」になった。

私たちが住むここボワフォーでは、桜が見事に根付いている。圧巻は桜の木々のアーチ。その下を歩く。

桜の花びらが散る。道一杯に何重にもかさなっている花びら。その上を『いいのかなあ・・・』と思いつつ、歩く。
「きゅっきゅ」と音がする。

空想が拡がる。

その勝手な空想を『音』にする。歌詞もなにもない、音たち。
ヴァイオリニストやってて良かったなあ・・・と思う。

2007年7月 ブリュッセルにて
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