縄文人と弥生人
縄文土器との出会いは小学生の時だ。5年生の時転校した若葉小学校の仲間と野川べりを「ここ土器が出るんだよ」とお尻で滑りながら探した。「そうやると見つかるんだ」確かに地表が薄く削れて実際土器を発見した時は嬉しかった!
そのころ母は柳宗孝さん、由紀さんに習って織物をやっていた。庭に大きな瓶を用いての染織。また綿から糸を作る魔法のような術、絹糸を染めてそれで織り上げたピンクの生地。洋裁が得意だった母はそれでスーツを作ってくれた。私が20歳の時だ。成人式に着て行った。玄関前で写真を撮る父が初めて眩しそうに私を見ていた事を思い出す。その年の夏父は亡くなった。
その柳親子にもう二人兄弟がいてその一人が陶芸家のガンちゃん、彼が縄文土器に詳しかった。
「これは中期ですね~」
私の興奮度最高潮だったことはいうまでもない!
さて・・・縄文人は狩りをして食べていた。その後定住、稲作を開発していった弥生人とはルーツも違うという。
いつも縄文の力強く想像力にあふれた土器を好きだった私だが、ここにきて「これって今の肉食と菜食に似てるかも」と思う。
昨今ビーフステーキがごちそうだった時代は終わり、ヴェジタリアン、菜食主義、オルガニック有機栽培が目に留まる事が多くなった。食品添加物の多いもの、着色料香料の多いものはどちらかと言えば「貧乏人の食べるもの」とさえ思わせる風潮がある。かといって子だくさんのお母さんが一つ何百円もするトマトも買えないのも事実だ。
年は取ったが私は肉食、魚食が好きだ。野菜・・特に生野菜は健康に良いとわかっていて作りはするがなかなか手につかない。冷たい感じだからだ。
食とは美味しく食べる事につきる。そのための材料、一緒に食べる人たち、その方が大事だ。
しかしながら肉食から菜食に移って行った縄文、弥生との関連はそれによって土器、文化も変わっていった。稲作とは「定住する事、群れ」だからだ。もともとひねくれてる私はやはり一匹狼にあこがれるのかもしれない?
2017年8月ブリュッセル