音楽教育

ヴァイオリンを教えるようになって15年過ぎた。子育て、演奏旅行連れ歩きができなくなって彼らが小学校に入ったころ、ちょうど空きのあったブリュッセルの音楽院で始めた。最初は6人の生徒だったが、だんだん増えた。当初日本人が多かったが今は一人だ。
昨年からちょっと雰囲気を変えてマストリヒトでも教え始めた。小さな学校だが個人個人に目が届き、またこちらの意向もすぐ通じる。ここも2人だったのが今年は9人、来年はもっと増える。

さて「教える」とはどういう事だろうか?
今まで私が経験してきた事を言葉にする。なるべく楽器を通さず考えてもらう。
個人対個人の何年間かの対話、一方通行のように見えるがその絆を培うまで双方時間がかかる。
ましてこちらの言葉を生徒が理解して弾くようになるのは時間がかかる。すぐできる子もいれば数年かかる子もいる。先生は何と忍耐力のいる職業だろうと思うが私自身そうやって江藤先生に教わったのだ。
師の言葉をそのままやってみるのではなく自分で納得するように通訳する。自分の言葉にすることが大切だ。「ココは強く」と言われた事がどうしたらそういう音となって出せるようになるのか?それもいつも同じように弾けるようにするにはどうしたらよいのか?それを考える事が学ぶという事だ。その過程でテクニックはもちろんのこと、情緒、文化、スタイル、それらすべてを楽譜の中から読み取る訓練が必要だ。どれを最初にやるか?興味のあるものから入っていくのが良い。過程の順番を把握する。反復練習、毎日同じ事の繰り返しの中でも必ず新しい発見、インスピレーションがある。とても大事だ。それに今できなくても明日・・ぐらいの楽観的な姿勢も必要だ。追求し続けるためには心身健全な事。

今年はEU創立60周年だそうだ。まさに私と同じ年齢か!
ヨーロッパ統一は音楽教育にも影響を与える。ヴァイオリン馬鹿、音楽家は知識に欠ける、等の批判から今日ではボローニャ条約によってバッチェラー、マスターというシステムが導入された。ハーモニー、音楽史の他にも哲学、マネージメント等が入る。室内楽もオーケストラは必須だ。授業に出てこない、単位が取れないと「ヴァイオリンのレッスン禁止令」が出たりする。本末転倒と思うがそういうシステムなのだ。イベントも講習会も多い。私が学生だったころ、マスタークラスも演奏会も一年に一度の出来事でそれはそれは待ち焦がれたものだ。
たまたま昨日私もマスタークラスをブリュッセルの音楽院で行ったが、やってきたのはうちの生徒プラス数名。「出てきなさい」とよっぽど言われるか「単位になる」とでも言わないと学生たちはやってこない。とにかく忙しいのだ。

情報は詰め込まなければいけない。しかしながら過ぎたるは及ばざるがごとし・・・
早く早くと急いて詰め込んだところで入る容器は決まっている。その「容器」を健全に大きくする事も大切なのだ。馬鹿になれる時間もそう人生にあるものでもない。

そんな中イギリス・ウェールズの若きヴァイオリニスト。チャーリー・ロヴェル、ジョーンズが作った歌とヴァイオリンとオーケストラの曲を聞いた。
なんと美しいのだろう!彼の心が伝わってくる。若き高揚が伝わってくる。
心から感動した。http://www.bbc.co.uk/programmes/p04vkjpr

こういう若者が音楽の将来をになっていくと感じた。

                    2017年3月ブリュッセル








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