生徒の卒業

6月はこちらでは年度末です。長い夏休み前の最後の試験や、卒業、レセプションと行事は山とあります。これが終わったら「ヴァカンス!!」

2日間続いた卒業試験。ここブリュッセルのコンセルヴァトリー(音楽院)では、プログラムを2つ作って聴衆の前で弾かなければいけません。
「エリザベートコンクール」とまではいいませんが、大きなコンチェルトひとつ、大きなソナタひとつ、20世紀のものひとつ、あと2曲ヴァイオリンのレパートリーの中で、重要な位置を占める曲を選ぶ。ソナタ以外はすべて暗譜すること。
これを5月と6月に分けて演奏します。1回大体45分ずつです。

生徒も先生も大変。必死の思いで1年前から、人によっては2年かけて準備します。生徒によっては、半分ずつ2回(2年)に分けて行う人もいます。
その人に合うプログラム作り。また「どうしてもこれが弾きたい!」という生徒の想い。
プログラム作りはリサイタル同様、その良し悪しで成功の半分は決まります。
ある程度の点数を取らないと、デイプロマ(卒業証書)は出してもらえません。また点数によって、優秀、最優秀、首席・・・というカテゴリーがあるので、それは後の就職活動にも響いてきます。

以前に比べてクラシック音楽は楽器を弾ける人の人口は増えている、仕事は少なくなっている、どうやって食べていくか・・・は、大問題で、「デイプロマ」はますます重要になってきました。また音楽の世界だけではなく普通の大学の普通の教科。たとえば、物理、数学、医学などと並行してヴァイオリンを弾いているという、並みの頭のできではない!人もいます。また、私のクラスで声楽と並行している生徒もいます。

もともと「音楽バカ」のように、音楽以外のことは何も知らない・・・というのをなくそうと、ここベルギーでは、ブリュッセルのコンセルヴァトリーに入るのにも、普通高校の卒業証明書がないと、入学出来ません。ヴァイオリンを弾くだけでもエネルギー、精神力を使い果たすのに、普通高校の勉強を兼ねてやってゆくのは見ていてもかなり大変そうです。こちらで「高校を卒業」するには、フランスの「バカロレア」、ドイツの「マトウーラ」のように全科目が合格しないとできません。高校も落第・・というシステムがありますから下手をすると中学—高校を通して6年が2倍の12年!かかって卒業!!などというケースもあります。入ってくる新入生にいつも、「あなたいくつ?」と聞くのもそんな事があるからです。しかし別にそう恥ずかしいことでもありません。出来なければ卒業させない・・・とうのも、考えてみれば当たり前です。
娘も中学1年ですが、中学でさえクラスに何人かは「だぶっている」人がいます。

音楽院(コンセルヴァトリー)に入るまでの音楽教育は、5歳からソルフェージュや聴音などを「アカデミー」で、無料で学ぶことができます。知識はよく入っているのです。
これと同じ集中力でヴァイオリンも基礎が出来ていればなあ・・・と大学から受け持つ羽目になる私たち先生の「悲鳴」でもあります。

しかし、コンセルヴァトリーはベルギー人だけで成り立っているわけではなく、半分は外国人、東欧、ロシア、アジア、スペイン、ポルトガル、北欧・・・またエラスムスというヨーロッパ共同体の国々の学校のシステムによって「交換留学」の形で来ている人も何割かいます。ですから、大学に入るときの基準が、多種多様・・であることも、この音楽院の、いや、ヨーロッパ全体の特徴かもしれません。

さて、5年間の大学生活の最終発表の場、この卒業試験に向けて、生徒は、おのおの趣向を凝らし、練習、会場練習と準備に余念がありません。本番は、家族も友達もいっぱいやってきて、ひとりひとり、別の「ファンクラブ」で、会場が埋まります。しかし遠くからやってきている留学生は「親戚」が近くにいるわけではなし。満員の後だーれもいなくなったところで勝負する人もいます。もちろん点数には関係ありません。

審査員はわれわれ先生5人。
(左:プログラムより一部抜粋)

イゴール・オイストラフ。カテイー・セバスッテイアン。私。そして、ヴァレリー・オイストラフ。マレク・コワルスキー。


以前は学校の外からの審査員もいたようですが、私がはいってからはお目にかかっていません。
彼らとのひとときも、私には楽しみです。

イゴールは大ヴァイオリニストであるだけではなくジョークのうまいこと!それに、なんといっても、あのダヴィッド・オイストラフの息子です。当時のソビエトの音楽界の様子、プロコフィエフ、ショスタコーヴィッチ、ハチャトリアン、リヒテル・・・ロストロポーヴィッチなどなど枚挙にいとまがないほどのきらびやかな芸術家たちの姿を折に触れて話してくれます。ハイフェッツとも親交があったようです。カテイーは、ハンガリー人アンドレ・ゲルトナーの弟子で、バルトークの方面に詳しい。フランツリスト音楽院のコダーイの話・・・などなどこれも、非常に興味があります。もちろんお互いの弟子のことで話し合いになることはありますが、基本的には、ほとんど信じられないぐらい「尊敬に満ちた」ヴァイオリンセクションだと思います。

また彼らの伴奏を受け持つピアニストたち・・この存在も忘れてはいけません。シュトラウスのソナタからルトスラフスキーのパルテイータ・・・ありとあらゆる曲を生徒と納得するまで練り上げてくれます。私たちはただ聞いていればよいのですが、彼らの日々の努力、そして演奏には頭が下がります。みな「うまい」です。


今年は大学3年生のバッチェラーの生徒も含めて、4人の私の生徒が挑みました。

1)ドヴォルザークのコンチェルト全楽章、ラヴェルのツイガーヌ、パガニーニのキャプリス3つ、バッハから2つの楽章。彼は2番のソロソナタからグラーヴェとフーガ。それに、5つのオーケストラスタデイー。これが3年生のプログラム。彼がほかにも『医学』を勉強している学生で20歳。2年前に私のクラスに来たかったのですが、空きがなく、2年待って入ったアイルランド人です。

2)バッハのシャコンヌ、フランクのソナタ、バウカウスカスのパルテイータ。この子は2年に分けて試験受ける今年は1年目。

3)ストラヴィンスキーのコンチェルト、ブラームス2番のソナタ、ルトスラフスキーのパルテイータ、ベートーヴェンのロマンス、イザイのソロソナタ4番。

4)メンデルスゾンのコンチェルト、ウィニアウスキーの主題と変奏、バッハの3番ソロソナタ、武満の悲歌、シュトラウスのソナタ。彼女は日本からの留学生。大変音楽的で美しい演奏をしてくれました。嬉しかったです。

さて朝10時から夜8時まで集中して聞いて、そのあと点数をつけ集計して、いざ「発表」
どんなにか、みんな、この瞬間を待っているだろう・・とこちらがドキドキして部屋の外に出ると・・・
なんと、だーれも残っていません!
「え??時間早すぎたの?みんな帰っちゃってもうこない?どうでもいいのかな?」

もちろん、自分の演奏が終わったあと、彼らにとっては、だいぶ時間も経っています。「やった!!」ならずとも、みんなどこかに「繰り出している」のでしょう。

それでも「結果が知りたいだろう」とこちらから電話をかけた私です。

なんだか拍子抜けしてしまいました。
こんなものなのかな、ふと味わう孤独です。

こうやって、弟子は卒業してゆく・・・人生の短期間とはいえ、毎回自分が空っぽになるような想いで数年間を注ぎ込んだつもりだったけど。
まあ、自分もこのようにして教えられ・・そのありがたみに気づいたのは、ごく最近のこと・・・?

自然の摂理、とでもいいましょうか。
一種の世代送りの「役目」を終えた・・・一瞬です。
これから彼らが、どんな音楽人生を送ってゆくのか・・・

あれこれの想いにひたっていると家からの電話。
「ママ、帰ってきて!」案の定息子からです。
「はい、今終わったの。」
「・・・」

(・・・本当は、日本からきた知人 [ HP【レーヌヴェルテ】はこちら] に「終わったら
 ビールでも飲みませんか?」のお誘いを受けていて、あれだけ音楽を聴くと神経も
 カンタンには休まりそうになく「ちょっと一杯!」といきたいところです・・・)

「勉強した?」
「ママとやるの」
「道子にみてもらいなさい」
「イヤダ!」

しかたなく帰ります。ビールはお預け!
「明日はテスト3つ、あとバトミントンの試合があるんだあ」
と息子はもうベッドの中。
その隣の部屋では、長いテストが終わった娘が友達を連れてきてワイワイガヤガヤ。
「うるさくて寝れないよ」

言い分は両方ともよくわかる。
私もなんだか疲れていたし、だいいち夜10時に女の子ひとり、歩いて返すわけにいかないでしょ!と、娘にあたります。友達は「ヤバイ」と思ったか、早々と帰り支度・・
雨も降ってきました・・・もうさっさとパジャマに着替えちゃった私は、それでも「運転していくよ。危ないから」というと、「結構です。マダム疲れてるし、バイバイ・・」

また自己嫌悪に陥る一瞬です。・・悪いことしたなあ・・・

結局、昼から飲まず食わず・・・だったのを思い出して、ワインなんかあけて飲んでみますが、美味しくない・・・テレビをジップザップ・・・

ふと、娘からの携帯電話のメールです。
「mama.gomennasai. michiko」
家のなかで、携帯メールでもないだろうに・・と階段上がっていくと、暗闇の中で、
「ママ。ごめん。なんか、悪いことが起こるような感じで、ここんとこが痛い」
と心臓を指します。
「なに?悪いことって?」
「わかんないけど、なんか変な人がいる感じ・・・」

「えい!」
「なに、それ?」
『気合かけて、悪いの追っ払った!』と私。
「そっちのほうがもっとコワイヨ。」

「なんか道子いいお姉さんじゃなかった。左門試験なのに・・・
左門、道子のこと好きかなあ・・・」
「左門。道子たちが学校に迎えにいってくれて、嬉しそうだったでしょ?」
「うん」

やっと気をとりなおし、眠りにつく彼女。試験前は一人で寝る、とかいって恒例の愉気もいらなかったのに、今は、
「ママいて、愉気して」
と背中を出し、またべらべらおしゃべり・・
これが、彼女のストレス解消法かもしれません!

私のオシャベリは、このブログ?
日本にいたらきっと、こんなに書くこともないかもしれません。

本当はごく「個人的」な部分を、「分かち合いたい」と思うようになったのも、他愛ない「おしゃべり」がなくなったからかもしれません。気の合う同士で、勝手なことでも言っていれば、「孤独」なんてオーバーなこと言わなくても済んだものに!

昔は逆に「しがらみ」とか「世間」「愛想笑い」・・・から逃げたくて、「孤独」になりたかったかもしれませんし!

真の「孤独」とは、モーツアルトのふと「深淵をのぞきこむような一瞬」にあるような気がします。あとは彼もそうだったように「おしゃべり、おしゃべり!」

と、まあ、いったい生徒たちは今頃なにを考えているのだろう・・・と思いつつ、今日の長い一日が終わりました。

ではまた。

2007年6月末日
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