クラステレック

チェコ、プラハから1時間少々のところにあるクラステレックで友人が11年間音楽祭をやっている。今年はそれに呼ばれてバッハのソロ3曲弾いてきた。
2番のソロ・ソナタ、1番のソロ・パルテイータ、3番のソロ・ソナタ。これらを連続して一気に弾く事も大変だし、どうやって弾くかも大変。この間のブリュッセル・コンセルバトリーの試演演奏会のおかげで今回はかなりまとまって弾く事が出来た。

偶然にも今年はこの地方、ハンガリーオーストリア帝国の色濃く残るボヘミアにはついこの間5月にもやってきたのでなんだか馴染みが深い。ドイツ・マークノイキルヒェン、旧東独の昔からの楽器造りのこの町でヴァイオリンのコンクールがあったのだ。菜の花畑に囲まれ、どこを見ても「ヴァイオリン」だらけの村での1週間はなぜかとても心地よかった。窓を開ければ風に乗って花の匂いやら牛の匂いやら・・・

そこから90キロ西に来たところがチェコのクラステレックだ。
音楽会はお城と教会で行われる。マスタークラスもやっているようでホテルではヴァイオリンの音が絶えなかった。小川のせせらぎの音で目を覚ましたのは何年ぶりだろう・・・疲れ切っていた私は本当によく眠った事! そういえば5月ドイツのエッケルスハウゼン、フランクフルト北50キロぐらいの街でもよく寝たなあ~ブリュッセルの我が家にいるとなぜか責任を感じて眠れなくて旅に出かけて眠る・・・のも私ぐらいかもしれない。(苦笑)
バッハ・ソロ曲をすべて暗譜で弾く。仕込みもやり方がある。空想力を持ちながらも「構築」していかない事には収拾がつかない。そして最後の「決め」は睡眠だと思うのだ。
頭が疲れていると次々と引き出しを開ける事も出来ないからだ。

陶器の展覧会をやっていた。私と生徒テオは「やっと英語で説明できる。いつもドイツ語なんです」と嬉しそうに話す若い通訳の説明を聞きながら28部屋を見て回った。マイセンから伝わってきたきたチェコ陶器の由来、その変遷、非常に面白い。色もマイセンの青から始まりローズ系、第2次ロココ調のきらびやかさ。花、レリエフ、金、当時の貴族、王侯の趣味の高さがうかがわれる。なかには人形の表は若い女、その裏は腰をかがめた年寄・・というものもあった!3Dのイメージはこんな昔にもあった??
いい加減過剰装飾な「ロココ~~」に飽きる頃キュービズムの登場、大胆な直線のテーブル、シンプルな陶器が目立ってくる。と同時にまるでアールヌーボーの曲線のような木の家具もあった。ちょうど同じ時期に「これはブリュッセルの1957年万博で優勝したものです」と言うものもある。ブリュッセルとチェコの距離を考えるとそれも面白い。
そういえばボヘミアと言うけれどそれは何なの?
フランス人テオに言わせると「フランスではなんか知らないけど東の方から来た一団をまとめてボヘミアと言った」と言う。「バッハがソロソナタを書いた頃ね、ちょうどそのジプシー団をフランスがベルリンに追放した。ベルリンの姉妹都市であったケーテンにいたバッハはやはり彼らから影響を受けて、だんだん表記もフランス風になっていったでしょ」と寺神戸説を披露する私。
最後の方の部屋では中国古代の陶器からいわゆる「チャイナ」と呼ばれる物、また日本の有田焼まで展示してあって、まったく世の中人の考えることは古今東西変わらないなあ~と改めて実感した。どんなに距離が離れていても同じ時期に同じような発想があり、発展がある。江戸時代の鎖国期間の数学、絵の成熟ぶりはどうだ!

「オーストリア・ハンガリー帝国、そしてユダヤ人のおかげでこれだけのものが集まったのですが、御承知の通りナチズムの為に彼らはすべてを投げ出しました。ここにあるものの中にもカップのソーサーがなかったり、すべてそろっていなかったりするのはそのためです。」とガイドさん・・・

ボヘミア、という名前はどこから来たのだろう?とテオと談義になった。彼はフランス人でブリュッセルの私のクラスにいるのだが、なんとチェコ・ブルーノに住んでいる!ヤナーチェクが大好きでいまやチェコ語もぺらぺらだ。レッスンに来るのにバス、電車と30時間ぐらいかけてやってくる事もある。ブルーノは非常に発達した交通手段があって森の中に住んでいても深夜問わず1時間に一本必ずバスがあるんです。行ったり来たりの大変さより静けさを選んだ彼の選択も分かる気がする。今日はポーランドクラカウから電車でやってきた。
「だいたいチェコという言葉はどこから来たの?」と尋ねると「スラブの元英雄でチェコの国をなんとなくまとめた人がチェックおじさんと呼ばれていた」そうだ。「そのスラブって元々どこから来たの?」「ロシア。でもチェコと言う国を作るにはその歴史を作ったところがあって・・・もともとハンガリアン―オーストリア帝国は例えばフランスがすべてを統一しようとしたのとは正反対に地域ごとに分別して力を付けさせなかったところがある。だからチェコ語というのも地域色が強くて北の方に行くとポーランド語の方が近いくらいです」と彼。ポーランドとチェコの違いって何?と聞くと「う~ん…簡単には言えないけど、ポーランド人の方が明るいかな。チェコの人は恥ずかしがりや、最初はね。打ち解けると凄いんだけど・・。それとソビエト支配の強さがチェコの方がきつかったと思う。1968年5月5日ソビエト侵入の直前のプラハ・ドヴォルザークホールでのドヴォルザークのチェロコンチェルトの演奏聞いてみてください。スメタナとドヴォルザークというチェコを代表する作曲家を命がけで演奏して鬼気迫るものがあります」という。
私が最初にプラハの春に来たのが確か1989年だったと思う。まだコミュニズムの時代の彼らのうつむき加減な顔立ちを思い出した。確かバーなども10時で閉まっていた記憶があるし何より買ったボヘミアングラスのランプを税関で取られた。持ち出し制限があった為だと記憶するが・・

今回私はまたまた顔を違う方向に向けてみたら全く違う世界が開けた、という感じだ。以前トルコに旅行した時も、もしあの時ギリシャだったら西欧をむいていた姿勢がトルコと言う東に顔を向けた途端シルクロード・・・と広がったのを思い出す。
どちらかといえばフランス方面をむいていた私はドイツ、元東ドイツ、そしてチェコ、果てはロシア・・と広がっていくのは興味がつきない。

さてそのクラステレックのこれまたバロック様式のステキな教会でのコンサート。
昨日教会で音を仕込んであるので、こうやって当日は優雅に展覧会見物にランチ・・だがだんだん緊張してくる。5時ごろホテルを出て教会の中に入るとひんやりとしている。外の気温は30度近い、陽射しが強く乾燥している。典型的なヨーロッパの夏だ。夜になると毛布がいるほど冷え込むのだが・・・

18世紀の教会で18世紀のヴァイオリンで17-18世紀のバッハを弾く。弾いている私も聞いている聴衆も今の人間だがこんな偶然もまた楽しいものだ。素晴らしい音響でどんなピアニシモも弾けるし反対に和音をいくら強く弾いても汚い音にならない。それにここにもありとあらゆる壁、天井にキリストにまつわるお話が絵になって飾られている。一大抒情詩だ。これも「お話」
バッハが聞いた音もこんなふうだったのかなあ~

心配していた手も指も全く支障なく。

3曲終わってスタンディングオベーション。
あとのピルセンビールが美味しかったです!
                       2015年7月チェコ



ページトップへ戻る ▲