エリザベート王妃国際コンクールガラコンサートを聴いて

今年は4年ぶりのピアノ部門のコンクールでした。その「最後」ともいえる、入賞者によるガラコンサートから、今帰ったところです。

1位。2位。3位の最終ガラ。会場は熱気を帯びています。
満員の聴衆。テレビ生中継。これはベルギー特有の「フランス語」と「フラマン語」と両方のテレビ局が、それぞれキャスターを配し、ゲストを呼び、会場の右側と左側で放送します。さすがに演奏画面は、毎年両方のテレビ局が交代で持ちます。テレビカメラだけでも、会場に5台は置いてあります。

さて、国王、王妃、アストリッド皇女、そしてその娘さんの登場。国家演奏、聴衆もオーケストラも全員起立です。
王室からは、コンクール期間中1次予選からほとんど毎日どなたかが、顔を出されます。
コンセルヴァトリーで行われる予選には、小さなエリザベート皇女(6歳)の姿も見られました。コンクールそのものは、今でもエリザベート王妃からファビオラ王妃と受け継がれています。今日のガラコンサートには、現在の国王、王妃、アルベール2世とパオラ王妃が、おいでになりました。
私も何度かお目にかかったことがあります。審査員のときは王宮にお招きいただき、ほとんど「遅刻」しそうになって到着した私の席は、なんと国王の「おとなり」でした!一緒に楽しく食事をさせていただき、最後に「C'etait vraiment plaisir de dejeuner avec vous, madame」(あなたとご一緒できて楽しかったです)と直接ご本人に言われると、本当に「フツウの人」と楽しくお食事をした!みたいな気分になったものです。

いよいよ演奏が始まります。まずは第3位のスイス人、フランチェスコ・ピエモンテシ。彼とは2週間前のマルタ・アルゲリッヒの誕生日に、マルタ家で会いました。
「ホントに嬉しいよ。まったく期待してなかったから」と素直に喜び話がつきない自然で感じの良い男の子。「今度ラヴェル弾くんだ、マルタのCD持ってる?」と友達に聞いていました。本選のブラームスのコンチェルトもさることながら、ラヴェルも「初めて」の挑戦です。私など背筋が寒くなる話です。

「こんなだったかなあ・・・」と27年も前になる自分のコンクールのときを思い出しました。そういえばあの時も、なんだかなんでも弾けるような気分になって、いろいろ引き受けてしまい、小澤征爾さんに「あんたねえ、これからは、みんなどうやったら、あんたを引き摺り下ろせるだろう・・・という敵ばっかりがいるんだよ。もっと慎重に考えて、考えて、決めなきゃダメだよ」
アムステルダム・コンセルトヘボーの初コンサートに「ベートーベンやります」といったところ「弾いたことあるの?」と目が飛び出しそうなほどびっくりなさって「ありませんが・・・」と言うと、なんとその当時のテレビ番組「オーケストラがやってきた」の「アンコール」で「弾きなさい」と、やらせてもらいました!
1楽章の長いカデンツが終わり、お客様にとっても長い「アンコール」が終わろうとすると、征爾さんは「続けて、続けて」と言い、オーケストラが2楽章開始!
「えー!?」と思ってる間もなく、とうとう全部弾いちゃった!
などという、今では考えられないような贈り物をいただいたこともあります。演奏後、楽屋を訪れ「ありがとうございました」と話すと、彼は「これで少しは貯金ができたでしょう。くれぐれも、プログラムは良く考えないと」と戒められました。

と少し脱線しましたが・・・要するに聴衆は、いつも「はじめて」聴くのです。
どこそこの何位・・・という見出しはありますが、そのとき聴く演奏が良くない・・・どころか、まあまあ・・・でも、すぐに忘れられてしまうのが現実です。
自然淘汰・・・といえば、当たり前のことですが、コンクールを「取る」だけでもどんなに大変なことかわからない。その上「続けていく」のは、それに輪をかけて困難なことなのです。

3位のフラチェスコ君は、キレイに弾いてました。

次、2位の、プラメナ・マンゴヴァ嬢。友人のピアニスト、ジャンマルク・ルイサダが、やはりその「テレビ」のゲストで招待され、コメントしていたとき「彼女は、30年に1人の天才だ!」と叫んでいました。私が今回は仙台の国際コンクールの審査員をしていて、まったくピアノ部門を聴くことができなかったので、ブリュッセルに戻ってすぐに、ジャンマルクに電話したところ「もうショックだ・・・やはりコンクールはおかしい・・・」と絶望気味に話すので「ねえ、ねえ、いったいどうしたの?」と聞きますと「なんで、彼女が1位ではないのか!」と怒り心頭に達している様子。「これだから、この世界はフェアではない・・・1位の子はきちんと弾いてたけど、2位の子は天才なんだよ。何でこれがわからないの?」「・・・・」

私を含めて聴衆も期待充分。彼女も「マルタ家」の台所で、一緒に野菜を切ったり、お料理を並べたりして知っています。もうだいぶ演奏活動もしているようですが、コンチェルトを聴くのは初めて。それもチャイコフスキー!!(そういえば、今はチャイコフスキーコンクールの真っ最中。今年はチャイコも、エリザベートも、それに仙台も国際コンクールの年が重なって、ピアニストにとっては、なんと忙しい年でしょう!)
オケの短い前奏のあと、彼女のソロが始まります。
音量はホールのせいか座った席のせいか「もっとすごい」かと思っていた・・・ほどではありません。ちょっと緊張気味?
曲が進むにつれてだんだんいろいろ出てきます。なんといっても、「タッチ」がすばらしい。私は常々「ピアニストのタッチはヴァイオリニストの弓の使い方、ボーイングと同じ」と思っています。彼女の現在の先生である、アブデル・ラハマン・エルーバシャとも話しましたが、1位の子は、音がきちんとしている、プラメナは音を 「distraire」分離、引き離す・・・ことができる。要するに「押して」弾く技術だけではなく、「引く」技術も持っている・・・ということでしょうか。
困難なパッセージもオクターブ満開の場所もどこか「ふっと」抜ける、ワザがあります。これは、並大抵なことではありません。ですから、2楽章の旋律も「漂う」ような雰囲気をかもしだせます。ピアノの音の響き、倍音が多い。なるほど、ジャンマルクのいう「天才」の意味もわかりました。これからどのように成長するか・・・は彼女の人間としての生きかたにかかってくると思います。

休憩を挟んでさて第1位!
私も昔本当にこんなところで、これだけの聴衆の期待を浴びながら弾いたのか・・・と思うと我がことながら、ぞっとします。「知らぬがなんとか・・・」とはコワイ物知らずの、前評判も前知識もまったくなかった!からこそ、できたことでもありました。

彼女 アーニャ・ヴィニツカヤが弾くのは、ショスタコーヴィッチのトランペットとピアノのためのコンチェルト。昨年やはりここブリュッセルでマルタの「炸裂した演奏」を聞いたのを思い出します。
ちょっと音が硬い?とくにプラメナのあとでは、そう感じます。確かに「しっかり」している。作品の捕らえ方も、タッチも。13曲もあるこのコンクールの課題曲のまた他に、このような大曲をもうレパートリーに持っている・・というのは、まったく驚きです。2位の人同様、底力を感じさせます。

仙台のバイオリン部門も、ロシアの女の子が優勝しました。なんだか、どこか共通したものを感じます。部門は違い、場所も違うのに、審査の結果が似てくる・・・のは、世界的影響かなあ・・・などと、ふと思いました。

それにしても、本当に大変なコンクールを終わって、お疲れ様。
今こそ「ゆっくり」休んで次のレパートリー。演奏会の準備をしてほしい・・・と私ならずとも皆さんご本人が切望しているところだと思います。
しかし、現実は山のようにある音楽会を「こなしてゆく」だけで、手いっぱいになります。
征爾さんではないですが、「どこにいっても落とし穴がまってるからねえ・・・」
と、肝に命じてやっても、できることと、できないことがあります。

以前より、音楽家と呼ばれる人たちが増え、みんな上手に弾きます。ソリストなんて本当に夢のまた夢のような話。一度築いた地位など、まったくあてにならない・・・ かといって、音楽は、「人」と同じように山あり、谷あり。いつもいつも、うまくいくわけがない。「スランプ」にこそ、次への「鍵」が隠れている・・・のはどこの世界でも同じことです。そんな、一瞬一瞬を、生きていく。音楽とともに。

一度だけ恩師の江藤俊哉先生から、直筆のお手紙をいただいたことがあります。
私の結婚のころだったでしょうか・・
「いつも、美しい音楽とともに、歩いていってください」

これしかないです。

2007年6月 ブリュッセルにて

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