D-Day
いつもバートの誕生日と重なるこの日、今年は晴天に恵まれ、試験を控えた息子を除いては私もドイツでのひと仕事を終え、また娘も今年の作品提出が終わり、少しゆっくりした気分だった。
午後3時ごろから1時間以上遅れて始まったD-Dayのセレモニーをテレビ中継で見た。ノルマンデイーの海岸が整地され、おおがかりなテント、スクリーンが設けられる。しかし何といっても主役は青い空、雲、海だ。ここから70年前、寒さの中、恐怖の中、波を超えて上陸した戦士たち。今もまだご存命の方たち85歳から102歳までの元軍人、それぞれの頭だった17名が招待されていた。正装のうえに長い時間炎天下で大丈夫だろうか、と心配していたら途中からうしろで日傘がさされた。
各首脳が、元首が到着する。みな車を降りると2人の10歳ぐらいの子供たちと一緒に会場に入る。この時子供たちに声をかける人、手をつなぐ人、そのまま歩く人、いろいろだ。
ドイツのチャンセラーメルケルが登場する。ノルマンデイー上陸作戦は対ナチス・ドイツに対して行われたものだ。いったいどんな顔をして登場するのか?聴衆の反応は?と思いきや、彼女が現れると会場に拍手が起こった。オバマ大統領の時もそうだった。話題のプーチン氏、新政府ウクライナのポロシェンコ新大統領も最後になって招かれた。イギリスからはエリザベス女王とウィンザー公、チャールズ皇太子ご夫妻とこれだけの各国首脳人が一堂に集まることはほとんどない。正直な話、今問題になっているウクライナ、日露の確執もこうやって顔を合わせればなんとか解決するのではないか?と素人の私でさえ思ってしまう。もちろんこの外交目的もあったわけだがその意味では大成功ではなかったか・・・聴衆の目の前で「善処する」と言葉を交わした元首たちがあとになってそれを裏返すことのないことを祈る。
フランソワ・オランド氏の演説、リフレインのように「この地、ノルマンデイーで、この海岸で」と入れながら当時の戦士たちをたたえ、遺族の悲しみを訴え、そして一番戦争の悲惨さを訴える。
この姿勢はその後の劇でも同じ思いを皆に抱かせた。
劇が始まると初めてモーツアルトのピアノコンチェルトA-durの2楽章が流れた。とたんに胸が締め付けられる。
音楽とはこのようにダイレクトなのだ。
海岸を使った大きなスクリーン3つに当時の戦闘の映像が映し出される。ポーランド、ロシア、ユーゴスラヴィア、ドイツの収容所、日本だったら却下になるだろう残酷な場面もいくつかあった。そのスクリーンの前で黒服のドイツ軍、灰色の民衆、灰色ユニフォームのロシア兵などが戦闘を繰り広げる。簡素でしかし説得力のある素晴らしい振付だ。
最後にスローモーションな動作によって兵隊たちが上陸し戦い撃たれのたうち回って力尽きて横たわる場面がくりひろげられた。大画面に映し出される顔の表情、手の表情、海辺では銃弾を表す花火が鳴る。すごかった。
そのうち民衆は何やら石の塊をあちこちに積み上げている。なんだろう?
しばらくすると死体でいっぱいになった海岸にバグパイプがなりはじめた。蘇生?の意味合いも込めたこの音によってみな立ち上がり未来に向かって歩いていく。
積み上げた石はまた集められ、なんとそれが星の形になった。そして砂浜に書かれているヨーロッパ地図の上にいくつかおかれた。欧州委員会のはじまりを意味しているのだ。
なにより「なぜこんなことをしたの?」という問いをこれだけの人たちが集まる中で行った意味は大きいと思う。
娘がいみじくも言ったように「オリンピックのセレモニーよりすごいね」
戦争はしてはいけない。
オランド大統領は戦いなく勝ち得る自由はない、と言っていた。
しかしどんな理由をつけたところで例えば子供が戦争に行って死んだ、という現実を
受け入れる親はいない。
どんな理由をつけたところで人を殺める行為をしたことを後悔しないものはいない。
きのうの劇の最後の場面は広島、長崎に落とされた原爆だった。「これによって日本の降伏を促すことになり第2次世界大戦は終結した」と締めくくられた。唯一アジアが出てきた場面でもあった。
戦争をしてはいけない。 2014年6月7日ブリュッセル