おどりのリズム
ピアノ調律師がやってきた。
夏の間の日の光, 乾燥、だんだん寒くなってきたこの時期にずいぶん狂ってしまったピアノを調律してもらう。
特にここヨーロッパではだいたいこの時期9月初頭から4月まで暖房がはいる。
その間に床に接触しているピアノはどれだけの乾燥を強いられることか!我が家ではピアノダムファーというピアノの下に這わせた管から湿気が行きわたるような器具を取り付けた。黄色い点滅ランプがつくと水を入れる。まるで木々に水をやるようにピアノに湿り気を与える。
ピアノ調律師ポペスク氏、彼はルーマニア人で元々はヴァイオリニストだったという。ながい髪とひげはまるでジタン(ジプシー)のようでもある。実際家族のそう遠くないところでそういう人達もいるらしい・・・
ハンガリー、ルーマニアの民族音楽から始まって私がエネスコのソナタのCDをあげたことをきっかけに話がはずむようになった。
きのうは「5分時間ありますか?」と言うので何かと思ったら故郷のテープを持ってきた。
リスト作曲のハンガリアラプソディーをチンバロンと弦楽合奏に直したものだった。
最初の音からびっくり!チンバロンてこんな柔らかな音がするの??
ぐんぐん惹きこまれていった。
私たちが良く聞くハンガリー音楽、ジプシーヴァイオリンもそのバンドもその超絶技巧と(泣き)の部分の凄さは十分経験している。
しかしこんなに優雅で美しく柔らかな音楽を聴くのは初めてだった。
それと共にたったったとさっさと行くオーケストラのテンポ感。気持ち良いこと!ちょうど8月末に行ったチェコフィルとのブラームス・コンチェルト録音の経験と重なった。
彼らもさっさと行く、通常よくある「はい合わせるために、ゆっくりして・・」という悪影響が全くなかった。これは曲を熟知していなければできないことだ。それも相手の出方に反応する・・というのは相手が遅くしたら戻す、というごく当たり前の音楽のルールがヴァイオリンのセクションの最後のスタンドまで体に染みついているという事だ。
ほとんど90%の人は忘れているのではないか、と思うことがある。
この「波に乗っていける」体験はマルタ・アルゲリッヒとチェコフィル共演の時のみ味わった。
ブラームスとリストでは全く国も音楽も違うはずだが実はそうではない。片や北ドイツ・ハンブルグ生まれのブラームスとマジャール人ハンガリー国のリストとでは今ヨーロッパに住んでいて感じるだけでもかなりの差があるはずだ。しかし例えばオーストリアーハンガリーのハプスブルグ帝国とボヘミアンとユダヤ人で造り上げた宝石のような都市、文化がプラハだ。
逆に地理的に近いドイツの良さ、ドレスデンやライプチッヒの伝統がプラハにも生きている。
今、ドイツ音楽、ハンガリーもの、フランスものと分けて見られることが多いが、当時の音楽家、作曲家たちはもっともっと影響を受けあって、またインターネットもなかった時代に情報を渇望して自分達のスタイルの中に取り入れていった。
バッハのソロソナタ、パルテイータの表記が1番から6番目まで行く間にだんだんフランス風になって行くのも当時の辻音楽家、要するにジプシーのヴァイオリン弾きや踊り子達がフランスから追放となり、行った先がベルリン。その姉妹都市であったケーテンの小さな教会で一人でこれらの名曲を書いたバッハの魂に触れて彼の音楽に取りいれられていったという。寺神戸亮さんから教わった話だ。
そうこう話をしているうちにバッハにさえ、というか本当はどの音楽にも存在するリズム、3拍子は踊りの曲・・と言った概念からワルツの話に成り、そのままなぜウィーンワルツの2拍目は早めに来るのか?の話になった。
調律師曰く、「ウィーン人達から聞いた話ですがね、もともと舞曲が3拍子というのは今の定説でしかなくもっともっとさかのぼればバルカンには5拍子、7拍子はざら。ア・ラ・シルブ、と言えばセルビア風、ア・ラ・チュルカと言えばトルコ風、そういったものがウィーンに入って来た時、3で終わるかどうかわからない状態の踊りもたくさんあったんです。とりあえず先読んでおこう、と2拍目は早めに取る、」そうな・・・
なぜ?踊り、歌は言葉からきたから。言葉は3で終わるものもあれば終わらないものもある。グレゴリア聖歌だってそうだ。だから小節線がない。
そういえばバルトークの5連符、なんてざらにある。日本の馬子歌に似ているというハンガリー民謡も拍子は言葉によってきまる。
小節線がいつできたのか、どのように拍子ができていったのか?バッハの頃にはそれは厳然たる事実であり、私自身も西洋音楽は小節線の重要さ、1拍目の重要さと和声、トニカ、ドミナント、サブドミナント、その基本に尽きると思っている。
だからこそバッハはその中で3拍目からメロデイーを始めたり、いろいろ錯覚を起こさせて私たちを飽きさせない。
「でもなんで今現在、ダンスといえばラテン系・・・みたいな風潮なんだろう?そんなバルカンダンスの5拍子なんて聞いたこともなかった」と言うと彼「それは西洋人の奢りなんじゃないですか?」ともいう。西洋音楽は3拍子、4拍子、あとのバルトークですら異国もの、という概念に凝り固まっている彼らは実際教育を通して生徒達を見ていても変拍子はもちろん、ちょっとずれた拍になるとほとんどお手上げ、と言った感さえある。
その点我々何の束縛もないアジア人のほうがよっぽど楽にバルトークの世界に入って行ける。自分の事を話せば学生時代やはり一番遠かったのがブラームス、バッハ、シューベルトと言ったドイツ音楽の核をなす人達でバルトークもサララーテもドビッシーだってチャイコフスキーだってその方が何かわかりやすい、解釈しやすいところがあった。
だからこそブラームスの音楽のひもときをしてそれがこちらの人に認められたことは嬉しかった。今でも原点となっている。
しかし古今東西、喜怒哀楽と言うのは変わるものではない。
それなくして芸術も文学も感動もあり得たものではない。なんと殺伐とした世界になることだろうか!
だからこそ私たちに使命があるのかもしれない・・・
元々ジプシーもユダヤ人も世間のカーストから見れば二流どころ、その彼らがお金や地位、と言った栄華で幸せを感じる事のない分、身に着いたもの、技術、音楽で喜びを感じていた。それに彼らの人生観、「これだけは盗めないよ!」
確かに宝石や財産は盗めても身に着いた知識も技術も盗めない!
昼のひととき、とてもおもしろく興味が広がる会話だった。
2013年9月21日 ブリュッセルにて