コンクールの採点
2月以来珍しく立て続けにコンクールの審査員を頼まれている。
国際コンクールの審査は、音楽会を弾きに行くよりは時間が取られるのだが名誉なことだからやらせてもらっている。家族と生徒にはごめんなさい。でも私も世界中の若手のトップの演奏をたくさん聞けて勉強になるのだ。
2月末にはイタリア、トリノから40分ほどのピエモンテ、山のふもとピネロロというところで室内楽のコンクールがあった。2年以上も前に頼まれて、そのころはスケジュールも緩やかだったし、ちょっと毛色の変わった室内楽も楽しそうだ、と引き受けた。
良い音楽に囲まれた休暇になるかと思いきやとんでもない!なんと出場者100組という超多数の参加グループをヴィデオ審査もなく全て聞く羽目になった。朝10時から夜10時まで。ほとんど拷問に近い・・と言っては出場者に怒られるだろうけど、実際音楽を聞いていられる時間、それも能動的にきちんと聞ける時間は限られている。それでも数日の間にたくさんのプログラムをこなす若者の熱演にこちらも食事を取る時間も惜しみ働いた。
このコンクールはもう15年以上ピアノと室内楽を交互に繰り返し行われている。プログラムは基本的に自由、編成も様々の形のデュオからピアノトリオ、弦楽4重奏から、ピアノ5重奏までと幅が広い。そんなに種類の違うものを一緒に審査できるのかと懸念したが、2次にブラームスかシューマンの曲を入れなくてはいけない。そうなるとおのずから金管はなし、木管もクラリネットのみとなる。
100組という驚くべき数字はそれだけ若者たちの室内楽への熱意もあろうし、これからどうやって食べていくのか?の将来性を案じている事の結果でもあろう。ソリストに成る人は1%にも満たない。昔はそれでもオーケストラに入ればなんとか生活できていたのだが今やそのオケも空席が少ない。やっと1席空いたとなると200人も詰めかけるのが現状だ。その上次々消えて行ったり統合されたりと、経済が悪化して、またそういう口実のもとに最初に賃金カットになるのは文化面だというのは残念ながら世界共通事項だ。
私も教職と言う立場にいて彼らが将来仕事を手にできる保証をしてあげられない。
18-23歳という大変大切な彼らの時期を将来につなげることができなくなることは誰にとっても好ましい事ではない。中には大学に入って一年で辞めていく子もいる。賢明だと思う。音楽で食べていく・・のは需要と供給のバランスから見ても弁護士になるより大変なのだ。
さてここの採点方式はyes, no という予選通過の判断と同時に点数もつける。
第2次予選までは良かったのだが本選に進むべく6組残ったランキング結果(yes, no)と彼らの点数が3位において逆転するという結果になってしまった。ランキングでは4位の組が、点数では3位の組を上回ってしまったと言うことだ。結果、この場合は3位を2組にして本選を弾かせることにした。
この疑問は次のモントリオールコンクール(カナダ)でまた如実な論点となった。
4月末ブラジルから数日戻り、また席も温まる間もなくモントリオールに出発した。ここではフランス語と英語が聞こえてどちらもわかる!というのは嬉しい発見だった。
さてモントリオールは、ヴィデオ審査を通してからquarter finalというところから審査員が登場する。初めて公開の場となる。ここまでにすでに24名に絞られている。ヴィデオ審査の難しさはどうしてもいろいろ間違いがある。なぜこの人が?と思う人が入っていることもある。しかしながら今回聞いた限りでは皆遜色がなかったように思う。とにかく若者たちヴァイオリンを弾くと言うことに関してはその指のまわり方の速さ、弓の使い方の自由さ、ことスピードに関してはもう凄いものだ。ハイフェッツもしのぐ?パガニーニもびっくり、ちょっと前まで超難曲と言われていたようなサンサースーイザイ編曲のワルツ風練習曲だってものの見事にすべての難関を突破、その上、品も良くこなす16歳がいたりするのだ。
さてここの点数の付け方は10点満点で7-9が緑、4-6が黄色、1-3が赤ということなのだが、12名残る2次通過者にと推したい人全てを緑に入れよという。
最初に説明を受けた時ははたしてそんなことが可能だろうか?と疑問に思った。
どうしてもその候補者を通したければ全ての人を9点にする必要性がでてくると発言した審査員が二人いた。「そんなことをしたら困ります。フェアではない」と審査委員長は言う。演奏を聞いてその順位をつけることを真面目にやればそういうことにはならない。しかし予選を通したいと思う声を届かせるにはそうせざるを得ないというのが2人の審査員の主張だった。緑、黄色、赤の項を優先してそれで決まらない場合点数に行くというものだったのだが、たとえば緑でも7点を付けた為に点数で負けて落ちてしまう可能性もあるからだ。・・・幸運なことにquarter finalもsemi finalもそういうことなく決まった。
さて本選。6人の候補者たちはそれぞれみなマキシム・ベンゲロフ指揮のモントリオール交響楽団とコンチェルトを弾き終えた。ブラームスのコンチェルトがふたり、チャイコフスキーが4人という組み合わせになった。
審査はランキングのみ。それぞれが123456とつける。
もちろんアノニムスで我々には誰がどの候補者に入れたかは分からない。事務局には私たちのサインがあるわけだからわかっている。
集計後に発表があった。残念ながら私が入れた候補者は1位にはならなかった・・・
この頃はどこのコンクールでも討論せずに採点のみで決定する。この事自体は良い事だと思う。議論になればおのずから話の上手い人につられる可能性がある。審査員の間で候補者の話をしないというルールも自らの心にのみ基づいて判断するという大原則があるからだ。
とはいうものの今聞いた演奏について興奮気味になってしまうのは音楽家として当たり前だ。(しゃべるな)と言われればその分話したくなるものだが、それが審査の点数に何らかの影響を与えるものでもない。
しかしながら自分の判断とは違う結果が出たとしても「審査員の判断」と壇上に立たなくてはいけない。なかなか辛い場面でもある。
予選の時から採点方式に疑問を抱いていた審査員が発表まぢか「自分たちの間で無記名で誰に投票したか書いてみないか」と持ちだした。彼もきっと1位に不満があったのかもしれないし採点方式の難しさを認識したかったのだと思う。結果3名が1位に[A]としよう他の2名が[B]、あとの2名が[C]、[D]と一票ずつ投票したことが分かった。7名いるなかの3名は1位承諾だったかあとの4名は反対だったわけだ。過半数は取れていなかったことになる。
これがランキング投票のやり方だ。
もう一人がこう言いだした。
1位が決まるまで投票、次は2位、とやって行った方が正しいのではないか?
もう一人は採点方式は自分も数学者と一緒に1年間研究をしたことがある。完璧なものはない、という。
そういえばアメリカ・インディアナポリスコンクールの採点方式は何やら最高点と最低点の40%を真ん中に納める、とかいうものだったなあ~いずれにせよはっきりしたことは私たち審査員ではなく採点方式を決めるコンクール事務局に聞かないとわからないが。エリザベートもこの方式だった。チャイコフスキーもこの採点方式を取り入れたようだ。
以前のように(だれかを陥れよう)というたくらみを無くすためだという。
採点方法は本当に難しい。受ける方としては「何だ、こんなことで私たちの人生が決められるのか」と思うかもしれない。落ちた時の落胆は何物にも代えがたいものだと思う。でもそんなもの・・なのだ。
今審査員をやっている仙台国際コンクールでは2つの予選の時は100点満点で点数のみ。70-100の間の点をつける。同点が出た場合はその2名の間のどちらかの名前を書く。
今までのところ問題はない。
そして本選ではまずその賞、1位なら1位に値するものがあるかないかを投票で決める。その時は全員投票だ。もし1位を与える事に過半数の審査員が同意したならば今度は1位と思われる人の登録番号を書く。その投票で過半数を超える人がいない場合、もう一度上位2名のみで投票する。いつでも審査員の過半数に当たる評が取れなければ賞は決定しない。投票の結果が2人のみで同点となった場合は同位入賞となる。もし同点が出た場合、もう一度その両名の間で投票する。もし本選に残った候補者の中に過去2年間の間に指導したことのある生徒がいた場合はその先生[審査員]はその子の賞が確定するまでは投票できない。これはどのコンクールでも同じことだ。
こうやって順々に順位が決まってゆく。
コンクールというのは受ける以上は通りたいし、よい結果を出したいのが候補者の本音だ。
コンクール用に音楽をするのは必ずしも正しい音楽作りとは言えない・・という声も良くわかる。しかし彼ら若者にとって他に一体どんな手があると言うのだろうか?
10年以上練習してやっと人前に出て、そしてその中の何人かは音楽家として食べていけるようになると言う厳しい音楽家の道だ。
まず才能がなければやらない方が良い。その上その才能とは全体の10%にしか過ぎない、ともよく言われることだ。練習、その方法、教師、家庭環境、何より音楽に対する新鮮な好奇心を一生持ち続けられるか?そして何度も言うように(ありとあらえる面でのたくましさ)が備わっているか?体力、精神力、社交適応力、楽観的忍耐力、
それがなければプロの音楽家として食べ続けていく事は出来ない。
本音を言えば、やはり20代で将来の稼ぎが決まると思う。16歳から見れば21歳など5歳も年上、なのだが今回たくさん若手を聞いた中には25,26歳になって成熟して知的な演奏をした子もたくさんいた。モントリオールで自作のソロ作品をひいて圧巻だったテカリ、仙台のファイナリストにもなった。彼は実はカーテイス音楽院を受け落ちている・・・
私たちが学生だった70年代に比べ、何か今の若者の(取らなきゃ)という必死さは違うもののように思う。なぜだろう?私たちが若かったころ、国際コンクールといえばチャイコフスキー、、エリザベート、ショパン、ロンテイボー、パガニーニ、カールフレッシュ、ぐらいだったと思う。今はそれに加えモントリオール、インデイアナポリス、ハノーバー、仙台、ソウル、マイケルヒル、イタリアのたくさんのコンクールと枚挙にいとまがない。数が増えた分取りやすくなったかと言えば逆のような印象もある。なかには33回トライした人もいる。
そうなったら(受かればいいなあ~)ぐらいな気楽な気持ちではなく(落ちられない)という切迫感にかわるだろう。それも音楽とは関係のないところで。
(憧れ)
こうなったらいいなあ~という憧れが私たちに活力を生み出す。
話は変わるが仙台で偶然ゴッホ展をやっていた。ゴッホと言えばそれこそ私が20代前半にあこがれ、彼の弟にあてた書簡集に感動し、まさに最後の地となったオーヴェール・シュールオワーズ近くにまで住みついた私。これを見過ごすわけにはいかない!
パリ時代の作品が主だった。修行の様が事細かに解説されている。さすが日本の展覧会!キャンバス地の事、絵具のこと。2重に書かれている下の絵の事、一見描きなぐったと思われる彼の書法も実は遠近法を用いられ実に緻密に計算された構図であると言うこと。改めて納得した次第だ。
ちょうどその隣で佐藤忠良の彫刻展もやっていた。私は恥ずかしながら知らなかったのだがふらりと入った。(母の顔)の彫像にくぎ付けになった。その後広々とした会場を見回り最後に本を買った。そこで出会ったのが(文化とは憧れです)の一言だった。
音楽人生に限らず何事においても(憧れ)を無くしてしまったら何と無味乾燥な人生になるだろうか・・
予選の休みを東京で過ごしまた仙台に戻る。明後日から子供たちがどんな演奏をしてくれるのか、それより彼らがどこまで我々を遠くの世界に連れて行ってくれるのか・・・はたしてコンクールと言うもののなす役割とはなんだろうか?いろいろ考えさせられるひと時だ。
2013年5月30日東京にて