孤独
ソリストとは・・・
1人で練習して、荷物を造り、タクシーに乗る。
飛行機を乗り継ぎ、また空港からタクシー、『見知らぬ街』についてホテルに入る。
オルガナイザーが迎えにきてくれることもあるが、大体は一人だ。
いつも『一番遅く』着くからすぐ、練習となる。練習場に行ってオーケストラと合わせる。
ピアニストや、室内楽の場合はまだ『会話』があるが、オーケストラとは大体の打ち合わせ程度で終わることが多い。終われば『仕事場』からみな、そうそうと立ち去る。私もまた、タクシーなぞ呼んでもらってホテルに帰る。
ここまでくれば、旅の疲れもあるし、少しはゆっくりしたいところ。時は夕刻。では、食事でも・・・と思うが、何しろ『知らない街』で、またひとりで出かけることになる。それも、面倒くさくなって、ホテルのレストランに入り「ひとり」というと、ウェイターがおごそかに、しかし、窓際のコーナーなどに追いやられる。
メニューを頼み、待っている間、手持ち無沙汰に、ウェイターの視線も感じながら、本を開く。こうでもしないと『間』がもたぬ。おまけに私は、日本語の本しか読まないから、ちょっとそこで、ペーパーバックでも買って・・・という訳にはいかない。ミステリーにはまれば、まだいいが、実際は目も疲れている・・というところだ。要するにリラックスには程遠い。
翌日はたいてい音楽会。終わって2部のシンフォニーを聴かずにホテルに戻ったらまた「ひとり」だ。演奏会の、興奮もさめやらぬ・・・わりにはまた、目の前の『本』と相対する。時折『接待』されることもある。が、もともと、知らない人たちなわけだし、肩が凝るぐらいなら、『本』のほうがましなこともある。
そんなソリスト生活にイヤ気がさし、世界中飛び回るというジェットセッターの名前が心地よかった時期も過ぎた。
14年前に結婚した。すぐ子供が生まれた。今度は逆に「ひとり」の時間は考えられないほどの『贅沢』なものとなった。24時間の『子育て』と、30分集中のコンサートはまさに両極端だ。
『子供』はまた違った形で「社会からの距離感」を感じさせることになった。
子供の、リズムを大切にしたい。子供の『快』を最優先したい、という私の子育ての方針には『スケジュール』も、『時間』もあったものではない。
せっかく『招待』していただいた会食も『子供が行きたいといっているので連れて行きます』までは、まだ良いとしても、なかなかそのキャプリスにまでは、付き合ってはもらえない。本人にとっては、キャプリスでもなんでもない。ごく当たり前の行動、例えば『立ちたい』『外に行きたい』『だっこ』
それらに随時付き合う私に、みな「よくやるわね・・」と言ってくれる。
が、しまいには、あきれかえり「まるで、あなた、奴隷みたい!」と、これも、だんだん距離が離れてゆく。
永遠に続くかと思われるこの時期、「ここはどこ?」「私は誰?」といった生活は、『この世で私だけが取り残されている』かのようだ。演奏会前なのに、砂場で歌を歌いながら遊ぶ娘。じりじりとする私。切羽詰まった思いで、頭のなかで『練習』をする。朝40分、世界中でなにが起こっても、私は集中・・・まるで、石を積みあげてカテドラルを作るがごとく・・曲を造っていった。練習した。
そのためにお手伝いさんに来てもらった。「ママ、ヴァイオリン」というと、娘は離れてゆく。泣き叫ぶ・・ならまだしも、たった1メートルの間に「もう、ママは、ヴァイオリンのところに行っちゃった・・」かのように、心底悲しい顔をする。
本当に悪いことをしているような気分だ。お手伝いさんは、とってもよい乳母さんで、娘もよくなついた。アフリカ出身、4人のお母さんは、シーツに、くるくるっと娘を包んでおんぶする。そのまま散歩にでかけ、寝入ると、今度は器用にベッドに寝かしつける。私などには『神業』のように思えた。
できるだけ早く!練習をきりあげ、娘のところにいく。気持ちよさそうに寝てる。それでも、私自ら手をあてて、愉気をしないと気がすまない。
どこにでも一緒に行った。
生まれて3ヶ月目から、大陸横断。音楽会の間は、楽屋で待っている。おっぱい飲ませ、イザ、バッハの無伴奏!などという芸当を、よくやったものだと今になって思う。
『産む』ことのできた母親は、『育てる』ことのできる体力を持っている。
2人目が生まれると、さすがに2人を連れての演奏旅行はできない。
それに、娘の「ママ、ヴァイオリン」と、離れたときの淋しい顔を『もう2度と見たくない』と思った。
息子はそういう思いをしたことはない・・・と少なくとも私はそう思っている。その分、今でも彼は甘え方がうまい。留守電に「早く帰ってきて」と、残すのはいつも彼だ。
娘の時にも増して「オルガナイズ」しなくなっていった私は、「世間」からは、離れていったかもしれない。その分『自然』と友達になった。毎日出かけたブリュッセルの森。そのそばの公園まで、乳母車を押してゆく。一人歩かされている娘は、公園に入るなり、「ワアーーギャアーー」とさけんで、走り回る。弟が生まれて『我慢』している部分がすべて放出されるようだ。
『森』には、おにぎりを持ってゆこう。池の「カモ」にあげる古パンも忘れずに。時計も電話も持たず。興味が行くまま、足のむくまま・・時が経ってゆく・・・『森』には、私もずいぶん癒された。
これもまた、今考えると『なんと贅沢な時間だったのだろう』と思う。
娘を幼稚園にはじめて連れて行った日々。
泣かないまでも『覚悟』をしている娘。
なるべく『遠く』に車を止めて園までの道を歩いた。なんだかこの手を離したくない・・
車のドアを「パタン」と閉めて「じゃあ、行ってくるね」と走りゆく今の姿など、誰が想像しただろうか・・・彼女はきょうで満13歳になった。
息子に至っては、『お姉さんと同じクラス』にしてもらったにもかかわらず、部屋のドアまでくると、「イヤダ」と私にしがみつく。
『慣れて、経験してみなければ、楽しいかどうかわからないでしょ』と力説する、先生たちの目の前で、『うちはずーっっとこういうやり方でやってきましたので』と、連れ帰る。また、日がな一日、ゴミトラックのあとを追い、建設現場で、ブルドーザーや、パワーシャベルに見入る時間を過ごした。この頃出会ったのがあとで、子供たちがだいぶ世話になることになる、テレーズおばさんだ。『今一緒にいなくていついるの!』と私をはげましてくれた。
果たして1年後、彼は自ら喜んで幼稚園に行くことになった。以来『学校で寝たい』というほどの学校好き。友達好き。『泊まりにこない?』といわれれば、2の句が告げぬほどの速さで、「行く!」と出かけてしまう。
まさに「独立」とは、『真の依存』によって成功する。
子供が小学校に通うようになると、以前のようには、『連れまわす』わけには行かなくなる。
自分の背中より大きなバックパックを肩に、学校まで歩いていく姿を送り、私は今度は、教え始めた。運よく、ブリュッセルの王立音楽院で、空きがあった。
『先生業』は初めてだ。
今まで『赤ちゃんから幼児』対象だった私の交際範囲!が、一気に『大学生』へと広がった。『ブルドーザー』や、『土』からまた『音楽』が身近な会話になった。私とは世代が違う好奇心あふれる若者たち。私は、子供たちのときもそうだったけれど、どうしても『育てる』という感覚にはなれない。客観的に見ることよりも『自分も一緒に』その世界へとはいってしまう。親ならぬ、教師ならぬ性格も「仕方がない!」と、この頃は、周りもあきらめている。
学生に教える段になって、その『段取り』『曲目の選び方』『レッスンの進め方』などを、準備しておくわけでもない。その時の『音』を聴いて、アドヴァイスしてゆく。はじめのころは、生徒のやってる曲も『ちょっと練習してみるわ』と言い出して生徒がびっくりしたものだ。何も私が、パガニーニのキャプリスさらったところで、相手が上達するわけでもない。しかしこの『最初の1年』のクラスの面々は、今でも印象に残っている。
子供同様、いつまでもいる・・・つもりでやっていたら『卒業』していく・・当たり前のことが、なんだか5年ぐらいたって、やっと腑に落ちてきたかもしれない。
いつの時も『音楽』があった。
ヴァイオリンを手にしてなくても、頭の中で、想っていた。
夕空の『藍色』が好きだ
体の程良い疲れ
帰路に向かう車のクラクションの音。
ちょっと生暖かい春の風。
ふとドヴォルザークの旋律が浮かんだ。
本当に『心にしみる』音楽は、もしかしたら、みなひとりひとりが、孤独だからあるのかもしれない。
物理的にホテルで『ひとり』なのと、
子供の世話にあけくれて、世間から「ひとり」なのと、
隣にいる人の事も本当はよくわからないから「ひとり」なのと・・・
その闇に対抗できるだけの・・『心』。
それが、『音楽』を生み出してきた。
ドヴォルザークが。ブラームスが。フォーレが。モーツアルトが・・
それぞれ、己の『孤独』と向き合ったから、名曲・・・が生まれた。
『孤独』とは耳を澄ますことだ。
『心』を澄ますことだ。
おのずから聞こえてくるものがある。
感ずるものがある。
あながち『孤独』も悪いものではない。