春休み今日この頃

春休みになり、なんだか「降ってわいたような」自由時間を味わっています。
というのも、子供たちはテレーズおばさんと5人の友達たちと、アルデンヌに遊びに行っちゃったし、コンセルヴァトワールは春休み。去年まで行っていた「モーツアルト・ヴァイオリンソナタ」の日本公演も今年は無し。
久しぶりに『休みだ!』
と、来年弾くことになっているラロのロシアコンチェルトとかノルウェーファンタジーとかに目を通したりしています。また、今年9月のリサイタルに弾くジョルジュ・エネスコの3番のヴァイオリンソナタに覚悟して挑戦。まったく「スゴイ」曲です。ジプシーの弾き方を「楽譜に表すとこうなる」・・・といったところ。しかし書かれているからには、まずすべてを音にしなければいけません。半音のもっと半分「高め」とか、「低め」とか、グリッサンドとか・・・

リズムも「書いていなければ、こんなに難しくない!」という拍の取り方の「ずれ」があります。頭打ち(これは、1拍目ということです)と思って聞いていて、実際楽譜を見るとその逆。数えると落ちる・・・数えないと合わない・・ヴィオリンもさることながら、ピアノの楽譜はテクニック的にもきっと「一番難しいヴァイオリンソナタ」の部類に入ります。なかなかピアニストに「弾いていただけない」曲でもあるのです。

桐朋のソルフェージュの授業や、バルトークの変拍子や、なんでもそういうたぐいのものは「得意」だったはずなのですが、習慣とはオソロシイ!ソリストになって、ほぼ「初見で弾く」という作業がなくなると、瞬く間に出来なくなるものです。マルボロ音楽祭でも、ハイドンのカルテット初見で弾いてて見事に落ちた!「落ちた」とは、数が数えられなく、他のメンバーの音楽についていけなくなる状態を、われわれ音楽家の間で使う言葉です。恥ずかしい思いをしました。

そういえば、ここでジョーク・・・というより、実際にあった(だろう)話です。
アインシュタインといえば、相対性理論・原子理論と天才の数学者ですが、彼はヴァイオリンも弾きました。なんといっても「有名」な人ですから、その頃やはり「the violinist」として名を馳せたヤッシャ・ハイフェッツと遊びでカルテットをやったそうです。
が、彼アインシュタインはどういうわけか、よく落ちる。
数が数えられない・・・あの有名な数学者です!
そこで、ハイフェッツ「Mr.Einstein.it is not a thousand ,just a 1 2 3 4 !」

また彼はヴィオリンが好きでしたが、なんといっても「アマチュア」。プロ中のプロ、ハイフェッツにかかっては、その「あいまいな音程」は許しがたい・・・かといって「音程が悪いですよ」というわけにもいかず。「Mr.Einstein, the intonation is not a relative theory, shoud be an absolute pitch」と叫んだそうです。
おわかりですね?みなさん。
「音程は相対的ではなく、絶対的なのだ!」と言ったわけです。「音程が悪い」ことを「相対的」とはまあ、うまい事言ったもんだと思います。

話がだいぶずれましたが、要するに、私が現在「格闘している」エネスコの曲は、その「拍子、数を数える」ことが、本当にイヤになるほど難しい。弾いてしまえば、なんということはない。そういえばアルゼンチンで、例の「ゲザ」君と暇をもてあまし、バルトークのデユオでも弾いてみようと、初見大会をやったことがあります。
が、生粋のハンガリー人、生粋のジプシーである彼は、なんと楽譜に書いてあるバルトークのリズムが読めない!簡単な節でも「聞く」のと「読む」のでは大違い!あまり悲惨なので、彼自らやめてしまいました。即興では目にも留まらぬ速さと節回しで、私などには理解できないほどの複雑なリズムを弾くのに!

要するに、ジプシー素人の私たちは、ただひたすら楽譜に書いてあるように弾いてみて、そこから、逆にジプシー風、ルーマニア民謡風に造ってゆく・・わけです。
と、今思いましたが、どこの国やどこの地方であっても、そこの「民謡」とは、多かれ少なかれそのようなものかもしれません。演歌の「こぶし」を譜面に書いたら大変なことになるでしょうし!しかし、そういうものもすべて一応「楽譜にする」ことが「西洋音楽」といわれているものの普遍性なのだと思います。

学生時代「民俗音楽」にも凝っていて、また、インドのシタール奏者、ラヴィ・シャンカルの演奏なども、彼が来日するたびに聴きに行きました。これは演奏会一般、子供のころから、よく連れて行ってくれた父のおかげもあります。インドーヨーガに凝っていた時期。シルクロードに「憧れて」一度は行ってみたい、とは今も思っています。
が、このごろだいぶ開けてきて、画像も情報も多く目にするようになると、なんだか興味も薄れてきます。勝手なものですね!

チェリスト、ヨーヨーマが「シルクロードの音楽」を手がけていました。今まで「絵画」とか「画像」での紹介はよくされていましたが「音」の紹介はあまりされていなかったので、大変面白い企画でした。数年前ブリュッセルにもやってきて、話をしました。
実は彼と昔、倉敷で一緒にブラームスの二重協奏曲を演奏した際、ある雑誌のインタビューで「もし音楽家にならなかったらどうしていましたか?」という質問がありました。彼は「ニューヨークのゴミの集配人」といって笑いを買い、私は「考古学者になってシルクロードを歩く」と言ったものです。

そんな昔話を彼は覚えていて「そういえばどうなった?あの夢は」と聞かれました。
もちろん、小さい子供二人を置いてくわけにはいかないし「死ぬまでに一度は行きたいなあ・・・」と言ったところ、うちの息子の写真を見て「こういう、金髪に東洋の顔みたいな子シルクロードにいっぱいいるよ」とけしかけられました。
なんだかそういう、人種のるつぼ・・人々の顔つきが、昔ギリシャの「アルカイックスマイル」が法隆寺まで伝わってきたように変わってゆくさま・・・を、そこまで長い年月をかけずとも、今はそこの市場に行ったりして「見てみたいなあ」と思っています。

ではまた。

2007年春
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