言葉を習う

このところ3ヶ月ほどオランダ語の勉強に取りかかっています。

「習い事」をする、などというのは本当に久しぶりのことで、うきうきして行きだした最初はよかったのですが、3回目で見事に挫折しました。この年になってここまで、名誉・・・まではいかなくとも、自己の権威を傷つけられ、できなさ加減をさらけ出す・・・のは、かなり心身ともにこたえました。別に先生が悪い訳でも何でもなく、ただ単に「できない」「言えない、言葉がでない」。
どうにかこうにか知ってる単語を並べてみても、今日の先生はにこっともしない。少しはこっちの気にもなってほしい!?怒るやら、悲しくなるやら・・・拷問のような1時間半が過ぎ、改めて思ったのは「やっぱ、勉強しなきゃだめだ」という至極簡単、明白な事実です。

主人がアントワープ出身のフラマン人。フラマン語はオランダ語と同じ。発音が少し違うといえばそうではありますが、なんといっても「同じ言葉」。そこに嫁いで、早13年?その上、4年前からはフラマン系のコンセルヴァトリーで教え始めた・・・にもかかわらず今まで「まったく話さなかった」のは、ま、実はだいぶ恥ずかしいことです。
「時間がない、オランダ語などやっても世界に通用しない」「ブリュッセルはフランス語圏だ」「生徒に教えるのはヴァイオリンで、言葉ではない」「みんな英語かフランス語を難なく話す」「子供は日本語で育てる」等々、言い出せば限りないエクスキューズー言い訳の数々ではありますが、よーく考えてみれば、実際雇われている国の言葉も話せない・・・のは由々しき事態であります。
パートナーの「言語」にも関心を示さない・・・義理の母親との会話もフランス語・・・学長もフランス語を話してくれちゃう・・・のも、みなフラマン人の人の良さに付け込んだ、恥ずべき行為なのです。

「ここでやらねば一生やらないだろう。」と覚悟しました。
とにかく1年間だけ、やってみよう・・・・

と、ここまではなにやら、颯爽とした「英断」にも似て「我ながら偉いもんだ。来年の今頃はペラペラでこの調子でいけば、そのうちフランス語もネイテイブぐらいうまくなれるし、ついでにロシア語もやろうか・・」などと鼻高々です。
最初の1、2回は敵も慣れたもの「そう、そう、その調子、よくできるじゃない!」とおだてられ、教科書を見ることもおろか、一人称、二人称の活用もわからないまま「時と場合による」(het hangt ervan af)とかいう言い回しだけ覚えました。
3回目の先生に「それ見ろ」とばかりその言い回しを使ったのが言葉のあや・・・ならぬ、仇になってしまったのです。
ペラペラペラペラ・・・・・と聞きなれぬ単語が続き「わからない」と言うと、「あれ・・ここやったでしょ。通知表には、そう書いてありますよ」と言われる。教科書も開いていない私には、それさえわかりません!「ばれたか」というぞおっとする瞬間の後、永遠に続くかと思う「人権の侵害」にも似た、個人授業が待っていたというわけです。

毎回先生が替わるのも、ここベルリッツの仕組みです。こうやって「なあなあにならない」関係があり、いろいろな人の発音を聴き取れるようになる、というものです。かといって同じ先生に「当たらないわけでもない」のですから、よっぽど相性が悪い先生の他は(そういう時は受付のお姉ちゃんたちに進言できる)「なるべく進歩的関係」を保つのも、スムーズに言葉を吸収してゆく手段だ、と自らに言い聞かせ、この回を機に心機一転。毎晩辞書と首っ引き。
今までやったこと忘れないように、というまったく何十年かぶりの「語学習得」が始まりました。


もともと「言葉」は嫌いではなかったと思います。日本語のほかに「ドイツ音名」を知っている、ソルフェージュは「フランス語」だし、音楽用語、アレグロ・ドルチェ・フェルマータ等は「イタリア語」です。なんだか得意になっていた小学生時代。中学の「英語」の授業も好きでした。高校では、桐朋の音校に行っていたものの、NHKの「フランス語講座」に出たくて、手紙を書きました。三善晃先生の指導の下「l'histoire naturel」を読んだことも、良い思い出です。
しかしいわゆる「文法」とか、「シェイクスピアの元本を読む」とかいった大それたことはしたことがありません。やってはいたのですが、フランス語に関しては3年たった高校最後でも、êtreの活用がおぼつかない・・・状態でした。(かなりヒドイ・・・)

ここブリュッセルにやってきて、コンクールの間お世話になった、ベルギーのフランス語のホストファミリー。彼らとの食事時の会話も、明けても暮れても「おいしいね。よい天気です」
惨めなものでした。


日本での外国語の勉強と、日常の会話ではまずテンポが違う。書いてる暇もないから、なんとか頭を3倍ぐらいの早回しにして、1つでもわかる単語があれば、あとは「想像」するしかない。「相槌の天才」と妹に言われたことがあります。すでにザルツブルグに2年間留学していた彼女は、きちんと「ドイツ語」を話します。私がへらへら笑っていると「ねえ、今なんて言ったの?」と聞かれます。「わかんない」と私!その後「憧れて」住んだパリ郊外。
ここでは、世界一速いと思うようなフランスのファミリーの中で暮らし、それも5人兄弟、姉妹すべて15−23歳という、なんともおしゃべり好きな人たちのなかで!「言えもしないのに早口な」フランス語を学びました。クララ家です。ちょっとベルギーに長くいたりして帰ってくると「フランス語遅くなったわね」と言われました。
いまでも、フランス人たちが[petit belge]とベルギー人たちを見下していうのは、よくある話です。がこのごろは「住みやすさ」を求めて多くのフランス人たちが、ベルギ—にやってきます。[petit belge]は逆にちょっとしたブルジョワジーを漂わせる民族でもあります。


そしてその国のもうひとつの欠かせない言語が「フラマン語」なのです。規則ではもうひとつ「ドイツ語」も入ります。アーヘン近く、ドイツ語を話す人々もいる・・・それが「ベルギー」なのです。こんな小さな国になんで2つも3つも言葉があるの?と、来た当時は驚きました。ブリュッセルとアントワープは40キロほどしか離れていないのに、仕事とかでない限り、普通の人の行き来はありません。まるで違う文化形態なのです。見ているテレビも違う。言葉が違うのは国が違うほど。
と、ふといま周りを見渡しますと、私のアパートの隣は、スエーデン人。反対側には、オーストリア人。下には、ギリシャ人が住んでいます。なにもアントワープまで行かなくてもここ半径500m以内にもう既にたくさんの国籍の人がいるわけです。


子供を日本語で育てたい、というのは私の悲願でもありました。国際結婚などという、面倒臭いことをしなければ、この当たり前のことが「悲願」となることもなかったでしょう。2人でいる間はまだよかったのですが、子供がおなかにいるときから、その「語りかけ」は「母国語」で、私ははじめて毎日のように、フラマン語を聴くことになりました。生まれてきた子供たちは、母親は日本語、父親はフラマン語。おろおろする親とは裏腹に、まったく混同することなく育ちました。今でも私の数少ないフラマン語の語彙は「くも」「あり」「うさぎ」「くま」「見て!」と子供用語が多いです。
しかし、幼稚園に入り、集団生活が始まり、また小学生になって「言葉を使って考えていく」段階にはいると、私たちはおおいに悩みました。もともとこういう大事なことは、前もって「考えておくべき」ことなのですが、依然として続く「手探りの旅」を行う私たち(特に私です。だんなは付き合わされてるといいましょうか・・・)は、「なんとかなるさ」とばかりに、その決定の時を延ばしていたかもしれません。

結果的に、いま彼らは、フランス語の学校に行っています。小学生の時は随分「語彙が少ないです」と言われました。彼らとしては3つ目の言葉でした。時間がかかるのは当然です。実はこのころまでは、私もフランス語の「宿題」を見てあげることができました。コンジュゲゾンも大変だけれど、歴史、算数等まだまだなんとかなっていたというわけです。(6年間を2人の子供と2回やれば、これで私のフランス語もパーフェクトだ!と思ったものですが、その希望的観測も泡・・・と消えました)

もちろん日本語もたたき込みました。
大体小学校4年生ぐらい。10歳前後で、どちらか・・・の言語になるようです。どんなにけしかけても、なかなか他の言葉は入りにくくなります。そんな暇はない!というのが彼らの頭の中だと思います。通訳などしてる暇があったら、どれだけたくさんの情報が、語彙が、頭の中に入るかの方がずっと大事だからです。そういう意味で、私は「早期英語教育」にはその必要性を感じていません。むしろ、善し悪しは別としても私たちが住んでいるような、たくさんの言語のなかで暮らしてゆくうちに、発音だの文法だのはまずおいておいても、人と「さし」でしゃべれるぐらいの、語学力があれば「楽」というくらいです。

またこれは、人の性格にもよりますから、おしゃべりで社交的な人はいくらでもおしゃべりすればよいし、無口な人は別に黙っていても良いのではないでしょうか。そこからどう発展するかは、頭の中身です。たくさん知ってるがゆえに、口を閉ざすこともたくさんあります。ただ外国に住む場合、知らず知らずのうちに「閉じこもってしまう」傾向はあります。精神安定には、意外にこの「おしゃべり」が大切な要素です。


さて、私のフラマン語の勉強ですが、接続法、推定、半過去・・・各設定によるコンジュゲゾン・・・とますます難しくなってきます。相性のよい先生が見つかってこのところ一緒に学習しています。ひとつすらすらとできると楽しいものです。「そうそう!」なんて誉められて、すっかり嬉しくなってしまいます。先生業が多かったここ数年、相手の「先生」の態度も非常に興味深いものがあります。

しかしやはり「教える」より、「習う」方が、どんなに楽なことか!は、身をもってまた納得しているところです。
取りあえず、この「挫折」と「おもしろい!」の繰り返しで、なんとかだましだまし・・・やってみます。

2007年1月

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